高校野球
2023/03/02 18:00

札幌英藍・花田監督が審判員で初甲子園 道高野連が3年半ぶり派遣

選抜甲子園に審判員として派遣される、札幌英藍の花田監督(撮影・西川薫)

センバツで塁審を数試合担当予定

 2019年夏以来3年半ぶりに聖地で道産子審判員のジャッジの声が鳴り響く。3月18日に阪神甲子園球場で開幕する選抜高校野球大会に、北海道高野連から花田幹さん(49、札幌英藍高野球部監督)が派遣される。大会期間中、塁審として複数担当する予定で、北海道代表のクラークの試合は除かれる。「甲子園はすごく大きな夢舞台。指名されるまでは夢にも思っていなかった。審判をするのは実感していますが、甲子園に立つのはいまだに信じられない。正直、緊張はしていますが、落ち着いてやれるように頑張ってきます」。開幕前に関西入りし、現地の高校の練習試合で〝実戦〟を経てから大会に臨む。

審判歴27年目

 確かな「目」を評価された。審判歴27年目。現在は道高野連審判部総務副委員長の役職を担う。1997年に教員として初めて赴任した根室西で控え審判からスタート。2018年の春季大会で、初めて全道決勝戦の球審を担当すると、21年に道高野連審判部から「次に派遣依頼が来た時は」と推薦が〝内定〟。甲子園派遣審判員は、球審を担当することがないため、同年の南北海道大会決勝戦を最後に、全道大会では主に塁審として技量を磨いてきた。

部の指導と審判練習の両立

 道内での大会期間中、担当試合がある時は、自チームは他の指導者に任せなければならない。審判の練習も「楽ではないと思う。もちろん普段の走塁練習とかでも、中に立ったりすることはできる。あとはブルペンで見たり。でもやっぱり、大会での実戦経験ですよね。大会前には審判講習会もあるので、その中でいろんなことを先輩の先生に教わったり、大会ごとにいろんなアドバイスいただきながら」経験を積んできた。

審判員は黒子「主役は選手」

 審判員は、微妙な判定の時だけクローズアップされる、いわば影の存在。文句を言われることはあっても、称賛されることは少ない。「上の先輩方からも『そういうもんだ』と言われてきました。プラスはなくても、マイナスはあったりするような世界。目立たない黒子のように。当たり前ですね、主役は選手ですので。子供たちの晴れの舞台なので、しっかりと滞りなくプレーできるように」と、スムーズな試合進行を心がける。

他府県では指導者が審判員は珍しい

 各都道府県の公式戦で、参加校の監督、部長が審判を務めるのは、全国的に見ても珍しい。22年春の選抜甲子園終了後に、甲子園で行われた審判員の全国研修会に参加した際には「他府県の審判さんから『北海道ってそうなんですね』って、びっくりされる方もいました」。今大会からアルプススタンドの吹奏楽の人数制限も解除になり、球場全体でもマスクを着用した上での声援も可能となる。講習会では「声が小さい」と、大観客を想定した指導も受けてきた。

試合後、自身の判断を自問自答

 選手は攻守交代があるが、審判は基本的に立ちっぱなし。炎天下などでは、集中力を持ち続けるのも大変な作業だ。「もちろん、自信を持って(手を)上げてます。ただ、その場では適切にやったつもりでも、思い返すと『見る角度は本当に正しかったのか?』とか、球審をやってても試合通して本当にきちっと(ストライクゾーンを)全部見たのかっていうと、何球かは『あれ低かったかな?』とか『ちょっと外に外れてたんじゃないかな?』って反省したこともある。もっとあの時、ああいう角度で見れば、こんなにモヤモヤがないかもしれない」と常に自問自答しながら、その時のベストを尽くしてきた。

ご褒美は「円山のカレー」

 うれしかった思い出もあった。ある試合後、着替えを終えて球場を出たところで、担当試合の主将が駆け寄ってきて「今日はありがとうございました」と声をかけられた。「なんか報われたなと。負けたチームにも勝ったチームにも『ありがとうございました』って言われると、一緒に1試合頑張ったな」と達成感に包まれる。試合後の自らへのご褒美は「円山のカレーです」と、穏やかな笑みを浮かべる。

 現在、新チームはマネジャーを含めて14人。「甲子園ではいろんなものが見えると思う。それを帰ってきたら伝えてあげたい」。監督として、聖地を目指す教え子に、その素晴らしさを還元していく。


■プロフィール 花田 幹(はなだ・みき)1974年2月1日、札幌市生まれ。札幌羊丘小3年時に、羊ケ丘カージナルスで野球を始める。札幌月寒高では主に外野手として2年秋に全道大会に出場。仙台大卒業後の97年に根室西に新任。その後、釧路江南、札幌月寒を経て、昨年春から札幌英藍。172センチ、61キロ。右投げ右打ち。家族は妻と長女、長男。

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