プロ野球
2022/10/19 18:00

《10・20 指名待つ道産子》②茨木秀俊投手(帝京長岡高ー札幌手稲中)後編

力投する札幌東シニア時代の茨木

芝草監督「話を聞く力があった」 入学時から将来性確信

 芝草監督は茨木の将来性を入学当初から感じていた。「コツコツと毎日の練習を経て成長してきた。入った直後から話を聞く力があった。一度聞いたことを覚えていて実行する、教え甲斐のある投手だった。まだ体は大きくなる」と、確信めいたものがあった。

 茨木の後を追い、札幌東シニアの1学年後輩が同校に進学した。さらに今春、弟・佑太(1年)も後に続いた。夏の県大会3回戦で兄弟リレーが実現。秋は兄のエースナンバーを受け継いだ。茨木本人は「気にしたことはないですね」と、照れくさそうに話したが「先輩として、野球選手として尊敬されるようになりたいですし、後輩たちにも頑張ってもらいたい」と、エールを送る。

手稲ヤングスターズ時代に全国大会で悔しい途中降板

 茨木が野球を始めた手稲ヤングスターズの島田清己監督(68)が少年時代を懐かしんだ。小学2年の秋に入団。4年生大会でマウンドを経験。「当時から抜群の制球力。冷静沈着でポーカーフェースだった」。茨木が6年の時に初出場した、全国スポーツ少年団軟式野球交流大会1回戦。地元の多賀少年野球クラブ相手に先発した茨木は、六回まで無失点。2―0でリードしていたが、七回2死から2四球でピンチを迎えた。ここで、島田監督が「バテちゃってストライクが入らなくなった」と降板を告げた。直後に同点に追いつかれ、チームは延長戦で敗北。相手はその勢いのまま優勝した。

 卒団式では6年生が感謝の手紙を読み上げ島田監督に手渡した。茨木の手紙には原稿用紙2枚に渡って、約4年間の思い出がびっしりとつづられていた。その際、島田監督が全国大会での途中降板に触れ「僕も最後まで投げさせてあげたかった、ごめんね」と、声をかけた。瞬間、茨木は感極まって号泣。島田監督は、その時の手紙を今も大事に保管している。

島田監督 テレビで新潟県大会チェック「あの時のことが、よみがえった」

 今夏の新潟県大会決勝の模様はテレビなどでチェック。「最後まで一生懸命投げていた。あの時のことが、よみがえった」。ドラフト会議の当日は、その時の選手たちと集まり、チーム出身者初のプロ野球選手の誕生を見届けるつもりだ。

 昨年8月の北海道遠征で、苫中央高と練習試合を行い、13日に広島が1位指名を公表した斉藤優汰投手と投げ合った。「戦う前にチームメートがプロ注目らしいよって教えてくれた。その時は『そうなんだ』と軽い気持ちだったけど、北海道の大会で注目されていて、すごいと思う」。結果は、茨木は先発して5回無失点で降板。一方、斉藤は2失点完投で試合は苫中央高が3―2で勝利した。互いに高評価の道産子右腕。プロのマウンドで対戦が実現する日は、そう遠くないかもしれない。(前編はこちら)

 


■プロフィール 茨木 秀俊(いばらぎ・ひでとし) 2004年6月8日、札幌市生まれ。札幌手稲中央小2年の秋に手稲ヤングスターズで野球を始める。同6年の時に全国大会出場。手稲中時代に所属した札幌東シニアでは2年夏の林和男杯で全国優勝。3年春の全国選抜大会に出場。新潟・帝京長岡では1年夏に初登板。2年春から背番号1。今夏の新潟県大会で準優勝。182センチ、85キロ。右投げ右打ち。最速147キロ。変化球はスライダー、カーブ、チェンジアップ、ツーシーム。家族は両親と、弟・佑太(帝京長岡高1年)。

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