かつて佐々木朗希も衝撃受けた152キロ道産子右腕 ロッテ戦力外の田中楓基は地元で現役続行へ
ロッテを戦力外となった田中楓基は来春から道内の社会人で現役続行を決意した=撮影・西川薫
21年ドラフトでロッテ育成1位
2021年のドラフト会議で、ロッテから育成1位で指名を受けた旭川市出身の田中楓基投手(22、旭川実業)が、10月7日に戦力外通告を受けて退団した。4年間のプロ生活で、支配下登録を勝ち取ることはできなかったが、来季から道内の社会人チームで野球を続けることを決意した。
2021年11月12日、ロッテと仮契約を交わした当時旭川実業高の田中
【#道産子 関連ニュース一覧】
地元・北海道で再始動する。少し時間はかかったが、気持ちの整理はできた。「(社会人野球は)見に行ったこともないので、ちょっと楽しみです」。152キロ右腕は、今度は社会人野球の聖地・東京ドームのマウンドを目指す。
10月6日にフェニックスリーグ参加のために宮崎入り。ところが翌朝に戦力外通告を受けた。球団関係者がプロで続けて行く道を模索してくれたが、「僕としてはプロより社会人でやりたいなあって。結構、やりきった感もあった」。その日のうちに旭川に戻った。
社会人出身の選手から話を聞き興味湧いた
社会人野球に興味が湧いたのは、チームメートの存在だ。元々は興味なかったが、「社会人から入ってくる選手と話すと、会社を代表してやるってすごい。しかも社会人の一発勝負試合なので、ちょっとまた違うよって。結構楽しいぞっていう話をいっぱいしてもらった」。そこからまだ見ぬ世界が気になり始めた。より具体的になったのは、育成から支配下登録への締め切りだった今年の7月末。「支配下がダメだった時に、来年もしかしたら、ないかもしれないと思い、将来のことを考えた時に、社会人野球もやってみたい」と、第2のキャリアへ心が傾いていった。
10月、母校の旭川実業高グラウンドで体を動かす田中
地元・北海道でプレーすることにこだわった理由はただ一つだ。23年8月に地元・旭川スタルヒンでの日本ハムの2軍戦で凱旋登板を果たした。今年も8月17日、2年ぶりに開催。六回から幼なじみの日本ハム・松浦慶斗投手(22)との投げ合いを予定していたが、五回で雨天コールドゲームとなり実現しなかった。「やっぱり親が北海道にいるので、親に野球やっている姿を近くで見せられることが良いかなと。北海道でずっと育って、友達や知り合いも多いので、周りに知ってる人がいる環境に身を置きたい」。再起の舞台は、生まれ故郷のほかには考えられなかった。
動画再生回数35万回 朗希が連発「エグッ」「球強い」
この記事は有料会員限定です。
登録すると続きをお読みいただけます。
〝令和の怪物〟も認めた潜在能力だ。24年オフにポスティングシステムを利用して、ロッテからMLBドジャースに移籍した佐々木朗希(23)は2学年先輩。2年目を終えた23年オフ、佐々木から声をかけられ、週に一度、浦和の2軍施設からマリンスタジアムで一緒に自主トレをした。「(柳沼)担当スカウトが朗希さんと一緒で、話してもらったりとか、キャッチボールを一緒にしてもらったり、という機会があって、その時は違うなっていうか、すごいなってやっぱり思いました」。24年の石垣島キャンプインの前日、キャッチボールで田中のボールを受けた佐々木が、球団広報のカメラに向かって「エグッ」「球強い」を連発した動画は約35万回再生を記録した。
2023年8月26日、イースタン日本ハム戦で先発したロッテ・田中
担当スカウトを囲む恒例行事も
担当スカウトとの縁は一生ものだ。毎年12月に、ロッテの柳沼スカウトが獲得した選手が関東に集まって〝柳沼会〟を行うのが恒例行事。佐々木の他にも、むかわ町出身の河村説人(28、星槎道都大)や、元ロッテの黒川凱星(21)もメンバーだ。「(戦力外通告)前日夜に球団から連絡が来た時も、柳沼さんに連絡してました。クビになった時も親に連絡して、次に柳沼さんに連絡して、こういう形になりましたって報告しました」。柳沼スカウトからは「育成で4年やれたことは、ひとつよかったんじゃないか」とねぎらいの言葉をもらった。
4年間通算で57試合に登板して2勝6敗、防御率は5.44。25年は18試合に登板して1勝2敗。少なからず、手応えはあった。建山コーチや大家コーチと話して、考え方に変化が生まれた。「三振じゃなくて、ゴロアウトとか、場面に応じてこういう球を打たせたいとか。漠然と1年目から3年目まで投げていたものを、4年目、今年は狙いを明確に持ちながら投球できて、それがちょっと結果につながったのかも分からないですけど、納得いくピッチングが多かった」。
2021年10月18日、指名あいさつでロッテの柳沼スカウト(右)とグータッチを交わす当時旭川実業高の田中
今年のドラフト会議は直視できなかった
今年のドラフト会議で対象になった大学4年生は、田中と同学年。高校時代に甲子園を懸けて対戦したこともある高校の出身者もいた。いざその日になると悔しさから直視することができなかったという。それでも「(高卒で)行ってよかったと思ってます。大学に行ってたら大学に行ってたで違うことが起きてたのかなって。でも全然後悔はしてない」とまっすぐ前を見据える。
【2000円お得! 道スポの年払いプラン】
プロの世界で学んだことは、これからの田中の人生にとって、決して無駄ではない。「一言じゃ言い表せないっていう感じ。本当にいろんなことを教えてもらったので。野球のことだったり、野球以外のところも。教えてもらったことを全部大事にしてこれかもやっていきたい」。新天地でリスタートする22歳に注目だ。

■プロフィール 田中 楓基(たなか・ふうき) 2003年8月23日、旭川市生まれ。180センチ、84キロ。旭川新富小1年の時、新富野球少年団で野球を始める。3年の時、転校してきた松浦慶斗(22、大阪桐蔭高出)と出会う。旭川明星中では軟式野球部に所属。旭川実業高では1年春から背番号1でベンチ入り。2年秋は全道準優勝。2021年ドラフト会議で育成1位でロッテ入り。2年目の23年に2軍戦でプロ初登板。3年目の24年オフに一度戦力外通告を受け、育成再契約。25年は2軍18試合に登板して1勝2敗。家族は両親と兄、弟。弟は仙台大1年の稜真。