仙台大の侍スイッチヒッター・平川蓮が広島から1位指名 背中を押してくれた名門監督の父
広島から1位指名を受け、チームメートと喜ぶ仙台大の平川(中央)=撮影・宮永春希
広島と日本ハムが外れ1位で競合
プロ野球ドラフト会議が23日、東京都内で行われ、日米大学野球選手権で4番も打った仙台大の平川蓮外野手(4年、札幌国際情報)が広島と日本ハムから外れ1位で指名を受け、抽選の末に広島が交渉権を獲得した。左右両打ちで、どちらの打球速度も170キロ超え。走攻守のそろった長距離スイッチヒッターで、父は高校野球の名門・北海高の指揮を執る平川敦監督(54)だ。
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広島がくじを引いた瞬間に笑顔はなかったが、「まさかこの順位で呼ばれるとは思ってなくて、すごい自分も頑張りたいなと思いましたし、今日は喜んで、明日からしっかり練習をして、ふさわしい野球人として頑張っていきたいと思います 」と声を弾ませた。
監督就任後、11人の教え子をプロへ送り出してきた父も、息子のプロ入りとなると「1位指名、びっくりですね。よくここまで頑張ったと思います。入ることが目的じゃなくて、活躍することが目的になる。また、必死に練習してほしい。就職が決まったので良かった(笑)」と喜んだ。
北海高の指揮を執る平川敦監督
遅咲きスラッガー
いまでこそ全国有数の逸材に成長したが、札幌国際情報に進むまでは全くの無名。遅咲きのスラッガーの原点は、節目で背中を押してくれた父の存在が大きかった。
早生まれだったせいで…
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幼少期から〝遅咲き〟だった。3月31日生まれ。現在は187センチ、93キロと恵まれた体つきだが、幼い頃は小さかった。当初の出産予定日は4月8日だったそうで、1週間ほど早く生まれたために学年が1つ上に。「大変ですよね。結構、小さかったので、誕生日のせいにしていました(笑)。一番遅いからって」。少しでも身長を伸ばすためにやっていたことは「ひたすら背伸びをしていました。あとは朝、昼、晩、牛乳を飲んでいました。昼は給食の牛乳が余っていたら全部飲んでいました」。札幌宮の森中では内野手だったが、2年時の5月には日本ハムが本拠地としていた札幌ドームで始球式を務めたこともあった。
2017年5月19日、札幌ドームで始球式を務めた平川
「公立で北海を倒そう」
高校受験は道立の札幌国際情報と、父・敦さんが監督を務める北海と札幌光星を受験。すべて合格した。これは父の敦さんが「ぎりぎりまで勉強をしてもらいたかったから。(国際)情報に落ちていたら、たぶん札幌光星だったかな」と振り返る。監督として2016年夏の甲子園準優勝や侍ジャパンU-18コーチなどを務めた名監督の父からは、元日本ハムの有倉雅史監督(58)が指導する札幌国際情報を勧められた。「父の先輩でプロ野球選手で投手だったので。有倉さんもピッチャーなので、聞いてこいって感じで」。自分でも「家に監督がいるっていうのは気まずいので、そういう中で野球をするなら、思いっきりできる札幌国際情報。公立だけど最近は強くなっていたので、公立で北海を倒そう」と決断した。
2020年8月9日、南北海道大会決勝戦で登板する札幌国際情報の平川(右)
教えはとにかく「走れ」
高校進学時、父からはただ一点、将来への助言をもらった。「走れ、です。とにかく走れ。長く野球がしたいなら走れ」。その言いつけを守った。すると遅れてきた成長期と相まって、入学時に171センチだった身長は、3年夏には183センチ、78キロ。「高校でめっちゃ伸びて、細かった。親にもちゃんと食べないと上手くならない」と言われ、当時から食トレもしていた。
幼い頃、父は自身の野球部の指導で学校の行事にはなかなか参加できなかった。高校時代は、頻繁に練習試合を行う間柄で、「バックネット裏で、監督としての仕事をしていないぐらいだった。お客さんみたいな感じでずっと座っていて、応援してくれていましたね」。2年時には札幌国際情報の控え投手として南大会準優勝、3年時はエースで4番として南大会4強と甲子園まであと一歩まで迫った。「(身長は)今でも1年に1センチずつ伸びています。中学時代はもっと小さくて、前から5番目ぐらいです。よく頑張りましたよね」。仙台大に進んでからも、自主トレでの走り込みは欠かすことがなかった。
7月9日、日米野球選手権大会で仙台大の平川が激走を見せて生還する
仙台大には父の教え子が多数進学
野球の事や進路で迷ったときは、いつも父が背中を押してくれた。「一番野球のことを聞ける存在が近くにいるので、大きい存在ですし、進路もなんかあったら相談して、いろんなことを聞ける」。仙台大は、ソフトバンク・川村友斗外野手(26)や中日・辻本倫太郎内野手(24)ら、父の教え子が何人も進んだ大学で、「父の影響が大きかった」と杜の都で研さんを積んだ。投手から野手へ、左打ちからスイッチヒッターへの転向も、父に相談し、自ら決断した。4年秋は4本塁打、22打点、13盗塁で三冠王。父の想像を超える、走攻守そろった打者へと成長。父と同じ侍ジャパンのユニホームにも袖を通した。
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ドラフト前にも金言を授かった。「ドラフトがあるからといって偉くなったわけじゃないんで、今までやってきたことを継続しろ、と言われました。まず、大学に通わせてくれてありがとう、という気持ちと、これから頑張って恩返しするから、これからも応援よろしくお願いします、という気持ちを伝えたい」。プロの荒波で活躍することで、最高の親孝行をするつもりだ。
7月8日、日米野球選手権大会で適時打を放つ仙台大の平川