《岩本勉のガン流F論》長嶋さんとの忘れられない思い出。いの一番に指名していただいた
■セ・パ交流戦1回戦 阪神1-0日本ハム(6月3日、エスコンフィールド北海道)
古林は大事に至らないことを願うばかり
大注目のカード。セ・パ互いの首位チームによる激突がいきなり実現した。先発した古林と才木。両者とも申し分ないピッチングを繰り広げた。ところが古林が三回途中に急きょ降板。こればかりは、ただただ大事に至らないことを願うばかりだ。
大きな経験となった斎藤と柳川
結果は阪神の0封勝ち。得点は本塁打による1点のみだったが、見どころ満載の一戦だった。
まずは急きょ、2番手でマウンドに上がった斎藤。心の準備などできていなかったはずだ。それでも必死にモチベーションを高め、1回⅔を無失点。パフォーマンスに結果が伴った最高のマウンドになった。相当、自信になったはずだ。続いて登板した柳川もそうだ。 1死後、2つの四球で一、二塁とされた。一歩間違えば大量失点になりかねないシーンで耐えた。この経験も大きい。
持ち味を発揮する前にやられた玉井
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ところが、だ。4番手で六回のマウンドに上がった玉井。実に悔やまれる。
先頭で一発のある大山を迎えた。1ストライクからの2球目。何の気なしにアウトコースに投げたように見えたストレート系のボールをバックスクリーンに運ばれた。この打席までで2安打と当たっていた大山。持ち味のシュートでインコースを厳しく突くべきだった。翌日も翌々日も対戦がある。なおさらだ。
持ち味を発揮する前にやられた一本。本人も相当、悔しいはず。ここまで無失点を続けてきた玉井。経験も豊富だ。マスクをかぶった進藤とともに反省すべきは反省し、次戦からまた再出発してもらいたい。
才木から学ぶべきことは多い
一方の才木。これぞチームを背負うピッチャーといったすごみを見せた。最たるは八回2死一、二塁で清宮幸を迎えた場面だ。カウント3-1からの5球目。インコースの直球をファウルされた。この1球で、まだ差し込めていると判断したのだろう。続く6球目は内角高めへのストレート。少しでも甘くなれば、清宮幸に軍配が上がっていたはずだ。そこで、きっちりと理想的なコースに投げきった。あの瞬間にこそ、「踏ん張った」というフレーズがピタリとハマる。日本ハムの投手陣も学ぶべきことは多かっただろう。
野球を国民的スポーツに発展させた大功労者が逝く
もう一つ、触れておかなければいけないことがある。長嶋茂雄さんが逝去された。レジェンドという言葉の頭に「大、大、大」を付けても足りないぐらいのスーパースター。野球を国民的スポーツに発展させていただいた大功労者である。
輝く笑顔で「モーニンっ」
いつだったか、まだ日本ハムが巨人とともに東京ドームを本拠地にしていた時のこと。今では考えられないのだが、デーゲームで日本ハムの試合、ナイターで巨人戦が組まれていた日。試合を終えて球場を後にする際、長嶋さんとすれ違った。平身低頭で「おはようございます」と発した私に、「モーニンっ」と言ってくれた。あの時の輝く笑顔は忘れられない。
光栄だった日本代表メンバーへの指名
そして1998年。この年の秋、日米野球(親善試合)が行われた。私はその年、オールスター前までで10勝をマークしていた。日本代表メンバーを選ぶ際、長嶋監督がいの一番に私の名前を挙げてくれた。関係者を通じて、後に伝え聞いた。結果、この年の終盤、私は肩を壊し、メンバー入りは見送られたのだが、あの長嶋さんが私を指名してくれたことが、本当にうれしく、光栄だった。
心より、お悔やみを申し上げます。これからは私たちが皆が楽しみ、ワクワクできるような野球の歴史をつくっていきます!