芸能文化
2023/07/10 19:00

藤井聡太時代に待った! 道産子A級棋士・広瀬章人八段に迫る㊤

2018年2月17日、東京都内で行われた朝日杯将棋オープン戦決勝で対局する広瀬章人八段(右)と藤井聡太六段

天才を止めるのは誰か 打倒の一番手集団にいる実力者は何を思う

 将棋界は現在、一人の大天才を中心に回っている。藤井聡太七冠、20歳。しかし、そこに勇敢に立ち向かう北海道出身の棋士がいる。広瀬章人八段、36歳。昨年度は竜王戦で挑戦者となり、これまで7番勝負では4勝1敗が最低成績だった絶対王者に初めて2つ黒星をつけた。名人への挑戦権を争う順位戦では、最上位の10人しか戦えないA級に10期連続で在籍する。打倒・藤井の一番手集団にいる実力者に、今後の目標や対局までの過ごし方、2歳の子どもと過ごすプライベートまで、余すところなく話を聞いた。全3回連載の1回目は、藤井七冠への対応策や、自身の九段昇段への思いに迫った。
 

駒の中で1番好きという角を指す広瀬章人八段

 

昨年度の竜王戦は藤井七冠に2勝4敗

 藤井七冠と熱戦を演じた昨年度の竜王戦7番勝負。2勝4敗でタイトル奪取を逃し、悔いが残る対局もあったが、同時に一定の手応えもつかんだ。

 「藤井七冠から見ると、7番勝負で2敗したのは初めてだったと思いますけど、本当は3敗目を喫していたはずなんですよね。自分が3局目で、結構な逆転負けをしてしまった。シリーズを通して、この敗戦が痛恨の敗戦にならなければいいなと思いながらやっていたんですけど、やっぱり痛恨の敗戦になってしまった。その将棋さえちゃんと勝てていれば、フルセットまで持ち込めた可能性がある。それは個人的には一番残念でした。ただ、頑張れば先手番をテニスのサーブのようにちゃんとキープできて、競ることができることが分かったというのはあります。やれる部分と、そうでない部分がありました。それでも、向こうは着々と進化しているのが一般の人と違うところ。次やるときは、全然違う感じになっている可能性もありますけどね」

いかに優秀な作戦を準備できるか

 藤井七冠の力が、トップ棋士たちの中でも突出していることは明白だ。打倒・藤井に必要なことは何なのか―。竜王戦での対戦経験を経て、広瀬八段は〝作戦〟の重要性を痛感した。

 「自分がやっている対策とか研究が、他の棋士には十分通用するんですけど、藤井七冠にはなかなか通用しない。ちょっと変化したくらいでは全然向こうにしっかり対応されて、ちょっとのリードをそのまま最後まで守られてしまうことがよくあります。少なくとも、何も考えずに盤の前に向かって勝てる相手ではないので、何かしら対策を用意しないといけないんですけど、対策を持っていってもなかなか大変だなっていうのを、竜王戦の7番勝負では体験しました。だからといって大きくやることが変わることもないので、いかに藤井七冠相手に優秀な作戦を持って行けるか、あとは中盤、終盤勝負になった時に、ちゃんと競り勝てるかが重要になってくると思います」

AIに分析される前に いつ誰に「持ち球」をぶつけるか

 今や、棋士はAIで研究することが当たり前になった。優秀な作戦を考えついても、一度対局で使用すればすぐさま分析され対応策を講じられてしまう。だからこそ、いつ誰に「持ち球」をぶつけるかが重要になる。

 「難しい問題です。今はAIを使えば正解の手順がすぐに出てしまうので、1回限りしか使えない作戦が結構あるんですよ。それをどの相手にぶつけるかは結構重要ではありますね。本当に藤井七冠に勝ちたいなら、そういう作戦を最後まで取っておかないといけない。藤井七冠相手に力勝負で勝つのは大変なことなので。ただ、そんな長期的な構想を練っても、挑戦までいけるかどうかが分からない。どうしても挑戦するまでに持ち球(優秀な作戦)を消費してしまう可能性がある。竜王戦では持ち球を1個、ちゃんと封印していたものを出して、後手盤にしてはまずまずの形にはなったんですけど、そこから勝たないと持ち球の意味がないので難しさはあります」

対局の終盤を制するためには詰め将棋など基礎トレも重要

 藤井七冠の出現とともに、広瀬八段もAI研究に本腰を入れ始めた。現在はパソコンの性能も高め、高精度の訓練を重ねている。それでも、地道な詰め将棋や棋譜並べといった〝基礎トレーニング〟も欠かさず行っているという。

 「藤井七冠がプロになって、そこから彼の将棋が注目されるとともにすごい勢いでAIの影響力も上がっていって、もう誰しもが無視はできない存在になっていますね。AIの存在によってプロの将棋は大分様変わりしたので、自分らの世代はその変化に対応して追いつくのが大変でした。私も以前からAIを使ってはいましたけど、スペック(性能)も大したことなくて抜け穴があったりという研究のミスで失敗したこともたくさんありました。最近は、そういうのが許されない時代なので。本格的にAIでの研究を始めたのはわりと最近だったと思います。実は羽生九段と竜王戦で対戦したとき(2018年、4勝3敗で挑戦者だった広瀬八段が奪取)はそこまでハイスペックのものは使っていなかったんです。翌年の防衛戦までにわりと高性能のものにしました。そういうものを手に入れてこれで強くなると思っていたら、確かに序盤、中盤はマシになったんですけど、肝心の終盤が弱くなった実感があったんです。今まで終盤はしっかりしていたのに、そういう武器を手に入れたことによって肝心の基礎能力、体力のようなものが落ちた。サボっていたつもりはなかったんですけど、サボっていたということですよね。これが悩ましいところで、どうしても序盤、中盤で遅れないようにするためにはAIでの研究は欠かせないんですけど、一方で詰め将棋や棋譜並べのような地道なトレーニングの重要さを思い知らされたっていう感じです。豊島九段に(竜王を)取られて、そのときに感じましたね」

あと7勝で八段から九段に昇段

 長い期間、将棋界の第一線で戦い続ける広瀬八段。最高段位である九段昇段が目前に迫っている。

 「今シーズンの目標は実は結構明確で、あと7勝で八段から九段に昇段する。それをなるべく早めに達成したい。九段に行くのはなかなか大変。勝ち星を積み重ねての昇段が自分は初めてで、それまでは順位戦の昇級やタイトルを獲ることで昇段していたので、最後は勝ち星なのも悪くはないかなと思う。八段からだとすごい数(250勝)を勝たないといけないので、自分も10年ぐらいかかった。年間25勝しても10年なので、ちょっとした達成感はあるかなと思う。将来的には少しでも第一線にいられるように。ありきたりなことになってしまいますけど現状維持がだんだん大変にはなってきているので。A級順位戦だと、年齢が上から2番目で40代がいなくなった。競争が激しくなっているのを感じてはいます。藤井七冠は特別ですけど、そうではない20代後半の若手勢も着々と階段を上ってきているので、彼らにも負けないようにしたい。A級に何期いるかは棋士の紹介でもよく使われるので、少しでも数字を伸ばせるようにしたい。順位戦以外も王位戦を筆頭にもちろん頑張らないといけないです。具体的な目標というよりは長期的に上位にいられるようにしたい。今は(タイトルを)奪取するのが大変な時代なので、逆に言うと誰にでも挑戦の可能性があると思っている。そのチャンスを生かせるかどうか」

 穏やかながらも力のこもった目は、まだまだ高みを見据えていた。(続く)

あわせて読みたい