【北の地の1996】道内初戦を実況した元HBCアナ・管野暢昭さんが追いかけたコンサ創設譚「このチームと知り合えて良かった」
取材現場で見たコンサドーレ創世記
北海道コンサドーレ札幌が誕生した1996年。当時を知る関係者の視点で振り返る創設30周年企画「北の地の1996」の今回は、北海道開催初戦となった96年5月19日大分戦(室蘭入江)を実況した元HBCアナウンサー管野暢昭さん(67)に当日の思い出や、クラブ発足時の取材活動について話を伺った。
《【北の地の1996】札幌初代主将・後藤義一さんが回顧するクラブ創設初年度「俺らがやったんだよ」》
あったらいいなが現実に
95年、当時30代半ばだった管野さんは「東芝(サッカー部)が来る」という情報を聞きつけ、小躍りするほどの喜びを感じたという。「93年にJリーグが開幕して僕はあのシーズン、(Jリーグ公式ビデオの)全試合のテープを買ったんですよ。あれを何回も何回も見て、こういう地域に根ざしたチームが(北海道に)あったらいいのにな、なんて思っていたので」
管野さんは84年にアナウンサーとしてHBCに入社。自身が望んでいたスポーツアナとして、冬季競技や高校野球、ラグビーなど、数々のアマチュアスポーツ実況を担当した。Jリーグの前身といえる日本サッカーリーグ時代から見てきた管野さんにとって、プロスポーツ不毛の地と言われた地元の北海道にプロクラブが誕生するという知らせは、この上ない朗報だった。「一生懸命、東芝のサッカー部を調べたり、誰が(クラブ創設を)仕掛けるんだろうと、取材活動を始めたのが95年ですね」
チームが形づくられる中で取材活動
95年11月、移転してくるクラブの受け皿となる運営会社「北海道フットボールクラブ設立企画」(現・株式会社コンサドーレ)が発足。管野さんは取材を行う中で、誘致活動に励んでいた年齢の近い若手経営者たちと接し、設立企画の社長を務めるなど誘致のキーマンだった石屋製菓社長(当時)の石水勲氏とも親交を築いていった。
翌96年1月11日、記者会見で東芝の札幌移転を正式に発表。東芝に所属していた社員選手に加え、JリーグやJFLでプレーしていたプロ契約選手、高校や大学からの新卒選手など、徐々にチームの陣容が固まっていった。「その中に何人か、この人知っている、という選手が入っていたり。特にキャプテンになったごっさん(MF後藤義一)はジェフにいたので、よく知っていました」
ワクワク感が増したビッグネーム
さらに発足初年度のクラブに強力な追い風を吹かせる2人のビッグネーム獲得も明らかになった。Jリーグブームの真っ只中に鹿島やV川崎(現・東京V)でゴールを量産し、CMに出演するなどお茶の間でも大人気だったFWアルシンドと、V川崎の守備の要として活躍し、94年にJリーグMVPを獲得したDFペレイラだ。「顔になる選手の名前が出る度に『おお!』と、ワクワク感が増していく感じがしましたね」
北海道で最初の実況、大物解説者も
そして同年4月21日、アウェー福島FC戦でついにコンサドーレ札幌が日本サッカー界にデビューした。試合は高卒ルーキーFW吉原宏太の2ゴールなどで4-1で快勝。初陣を見事に白星で飾った。現地で歴史的な一戦に立ち会った管野さんには、この時点で重要な仕事を任せられることが決まっていた。道内初戦の実況を担当するという大仕事だった。まだ札幌・宮の沢白い恋人サッカー場もない時代、チームは5月上旬まで神奈川県でトレーニングをしていた。管野さんは「まず試合を見ないと分からないので」と、道外で行われる試合に足を運び、来るべき日に備えて取材を積み重ねた。
また、本番を想定し、VTRを見ながら実況の練習も繰り返した。すると当日は心強い解説者と組むことが決まった。系列キー局・TBSで放送していた「スーパーサッカー」のつながりで、前年に引退したばかりの元日本代表・水沼貴史氏が来ることになった。「分からないところは解説の水沼さんに全部、丸投げするという覚悟でやりました」。そう考えることで不安を軽減し、本番に挑むことができたという。
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