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2026/03/01 05:00 NEW

【1日限定無料公開】伊藤大海 WBC直前インタビュー 北海道から世界の頂点へ 負けず嫌いの原点となった小3時の大敗

WBC開幕を前に思いを語った伊藤=撮影・松本奈央

道産子右腕がたっぷりと語る!

 今月5日にワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が開幕する。世界一に輝いた前回大会に続き、2度目の出場となる日本代表の日本ハム・伊藤大海投手(28)は、道南の鹿部町出身。北海道で生まれ、野球と出会い、球団初の道産子ドラフト1位として入団した。人生の大半を北の大地で過ごしてきた右腕がこのほどインタビューに応じ、幼少期を振り返りながら、故郷への思いを語った。

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今も昔もファイターズは特別な存在

 ファイターズのユニホームに身を包み、北海道を本拠にプレーできることが伊藤にとって何よりの喜びだ。シーズン中、遠征から帰ってきて新千歳空港に降り立つと、安心するという。
 「やっぱりホッとしますね。だいたい夜に帰ってくることが多いので、ちょっと(空の)澄んだ感じというか、北海道ならではだなとは思いますね。生まれ育った場所でもありますし、(入団した)ファイターズも北海道。ずっとそこに携わることができているっていうのはすごくうれしく思いますし、特別な場所というか、いるのが当たり前なんだけど、特別な場所って感じですかね」

 闘志あふれるピッチングが持ち味の右腕だが、意外にも幼少期はインドア派な少年だった。ストーブの前でレゴブロックをやるのが大好き。小学校に入る前、父・清光さんにビニール製のバットとグローブをプレゼントされてから、自然と外に出るようになった。
 「グラブとバットをもらって、そこから実際に(プレーが)できる環境になった。逆にもらってからは、そればっかりやってた気がします。壁当てしたりとか、父親に投げてもらって打つとか、そういうのばっかりになりましたね」 

 外に置いていたグローブは後に、きつねに食べられてしまうことになるのだが、野球の楽しさを知った。小2の時、自ら両親に少年野球チーム「鹿部クラップーズ」に入りたいとお願いした。
 「チームがあるってことは知ってましたし、家の前でやれることって限られてるというか、みんなでこう、野球をしてみたいって。普通に家の前で私服ジャージーでやってたんで、ユニフォームを着てるのが、かっこいいなとは思ってました。その当時は、ユニフォームを着て野球をするっていうのが憧れでしたね。(父は)やれとは言わなかったですね、自分から(やりたいと)」

ブレなかったプロ野球選手への憧れ

 その時から、将来の夢は「プロ野球選手」一択だった。
 「逆にみんな(プロ野球選手に)なりたいからやってるもんだと思ってたので。中学、高校くらいに、みんながみんなそこ(プロを目指すわけ)じゃないんだっていうのに気付いた時は、なんかちょっとショックだったというか。え、なんのために(野球)やってんの、とは思ってました。しっかりしてるのか、冷たいのか分かんないですよね」 

 身近にプロ野球選手がいたことも影響していたのかもしれない。父の小、中学校時代の同級生は大洋(現DeNA)などで活躍した故・盛田幸妃さん。小学5、6年時には同じクラスだったという。伊藤は小学3年時、盛田さんが故郷で開いた野球教室に参加し、指導を受けた。
 「(父の同級生がプロ野球選手に)なってるから、なれるみたいなイメージはありました。今までテレビで見るはずだったような人たちが近くで手取り足取り教えてくれたりした。それもあってあんまりプロ野球選手になること自体が難しいものとか思ってなかったですね。単なる夢物語ではないっていう認識でした」

2月17日の侍ジャパン宮崎合宿、ブルペンでダルビッシュ(右)と話し込む伊藤

 

知られざる幼少期の大敗

 伊藤といえば、人一倍に責任感が強くて負けず嫌いな性格。原点となった忘れられない試合がある。
 「小2で少年団に入った時、6年生がすごく多くて、1年間しか一緒にやらずに一気にみんな中学校に行っちゃった。その間(の学年)がいなかったので、割とすぐ試合も出られて楽しかったというか、まあ勝てもしないですけど​​。​​​初めての新チームでの練習試合、48ー0か47ー0、どっちか忘れたんですけど、負けたのは覚えてますね。たしか3年生の時。でも、そっから逆に悔しさを覚えたんで、野球の。点取れない、点取られるみたいなエンドレスだったんで。なんかそれも、もう(試合)やめようみたいな感じでやめられたんですよ。いやもう全然アウトが取れないんで、そもそも」

その悔しさが原動力に。函館東シニア、駒大苫小牧高では尊敬できる指導者にも恵まれ、野球の技術はもちろん、人間的にも成長した。その後、北海道を離れ、駒大に進学も1年秋に退学を決意。翌春に苫小牧駒澤大学(現・北洋大学)へ再入学し、公式戦に1年間出場できなかった期間を乗り越え、道産子選手では球団史上初めてドラフト1位で指名された。自らの努力で、この道を選んだことが正解だったと証明した。
 東京は自分がいるべき場所じゃないっていうのがあった。(当時の決断は)大正解。自分の人生でやっぱり大きな決断ってあるじゃないですか。間違いなく思い切って良かった部分ではあります。(球団の1位指名は)うれしかったですし、僕も(日本ハムに)行きたかったので」

さあ、連覇へ! あの感動を再び!

 前回大会、道産子では初のWBC出場を果たし、中継ぎとして世界一に貢献。2大会連続で日本代表に選出され「2人目が出てきてほしい」。北海道出身選手で初めて沢村賞も受賞した〝第一人者〟には、強い使命感もある。
 「前回もそうでしたけど、やっぱり本当にWBCの後って、より野球が注目されるというか、盛り上がるというか。事あるごとにこう気にしてもらえるというか、それはやっぱすごく感じたので。今年はすごくファイターズにとっても大事な1年だと思う。野球熱とともに北海道の皆さんが、それをきっかけでもいいので、ファイターズをより応援してくれるような、一緒に喜べるような年にしたいです」

 春に世界一、そして秋には日本一を―。いつも温かく応援してくれる北海道のファンに届けたい。

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