ジャンプ二階堂蓮 24歳新星が堂々の「銅」 重圧をも力に【ミラノ・コルティナ五輪】
男子個人ノーマルヒルで銅メダルを獲得し、喜ぶ二階堂蓮=共同
元ジャンパーの父学さんの前で
【ミラノ共同】ミラノ・コルティナ冬季五輪第4日の9日、ノルディックスキー・ジャンプ男子個人ノーマルヒルで初出場の二階堂蓮(24)=日本ビール=が銅メダルを獲得した。前回北京五輪で小林陵侑(29)=チームROY=が勝っており、日本勢はこの種目で2大会連続の表彰台。二階堂は北海道江別市出身。世界選手権にも出場した元ジャンパーの父学さんの影響で競技を始めた。今季のワールドカップ(W杯)で初勝利を挙げるなど急成長した新星が、初めての舞台で輝いた。
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■9日の男子個人ノーマルヒル(ヒルサイズ=HS107メートル) 初出場の二階堂蓮(日本ビール)が101メートル、106・5メートルの266・0点で銅メダルを獲得した。2連覇を狙った小林陵侑(チームROY)は100・5メートル、104メートルの260・6点で8位、中村直幹(フライングラボラトリー)は15位だった。 ライムント(ドイツ)が102メートル、106・5メートルの274・1点で初優勝した。19歳のトマシャク(ポーランド)が2位、デシュワンデン(スイス)が二階堂と同点の3位となった。(共同)
1回目6位からの2回目大ジャンプ
大接戦となったノルディックスキー・ジャンプ男子個人ノーマルヒル。6位で迎えた2回目に二階堂は低い助走姿勢から、一気に体を前傾させて飛び出す。着地を決めると確信した。「もうメダル取ったでしょ。越えられるものなら越えてみろ」。頂点には届かなかったが、初出場で堂々の「銅」。「もう最高」と喜びを爆発させた。
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「どんなジャンプができるのかと」
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今季、ワールドカップ初勝利を挙げるなど急成長。みるみる自信をつけた24歳の新星は「どんなジャンプができるのかと、わくわくが勝った」と重圧をも力に変えた。
二階堂蓮の1回目の飛躍=共同
活動資金のために田植えのアルバイトも
決して順風な競技人生ではなかった。北海道・下川商高卒業後は実業団から声がかからず、進学した東海大も環境が合わず1年で退学。田植えのアルバイトなどで活動資金を稼ぐ日々を経て、現在の所属先に入った。競技継続を断念してもおかしくない場面は何度もあった。「よくここまで来られた。やめなくて良かった」と実感を込めた。
観戦に駆けつけた父の学さんは、同会場で行われた1991年世界選手権に出た元選手だ。縁深い場所で大きな飛躍をそろえ「父さんの前でメダルを取れた。本当にうれしい」。万感の思いを込め、親子は強く抱き合った。(共同)
2回目の飛躍を終え、雄たけびを上げる二階堂蓮=共同
父と万感の抱擁 「気持ち背負う」決意の銅
特別な地で歓喜の瞬間を共にし、親子は万感の思いで強く抱き合った。
ミラノ・コルティナ冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプ男子個人ノーマルヒルで銅メダルを獲得した二階堂蓮(24)=日本ビール=の父、学さん(59)は、今大会の会場のプレダッツォで行われた1991年世界選手権に出場した元選手。「父さんが行けなかった舞台。気持ちを背負っていく」と決意して臨んだ五輪で輝きを放った。
学さんは世界選手権後の国内大会で転倒して頭を強打。92年アルベールビル五輪代表入りを逃したが「これも運命」と受け入れ、無念を息子に背負わせることは避けた。
それでも体験会をきっかけに、蓮が小学2年生で競技の道を選ぶと、学さんは「やるなら全力で世界一を狙うぞ」と覚悟を求めた。自宅のある北海道江別市にはジャンプ台がなく、平日は腹筋やスクワットで鍛え、日曜だけ札幌での練習に車で通った。中学校にはスキー部がなく、学さんが交渉して週末のジャンプ練習優先でサッカー部に所属。運動能力を磨いた。
ジャンプの練習不足を補うのはお盆休み。約1週間、閑散とした札幌のジャンプ台で1日数十本飛ぶ、親子の「ジャンプ週間」は中学時代まで続き、父譲りの低い助走姿勢を身につけた。蓮は「きっかけをつかむのに重要だった」と語る。
その後は息子が反抗期に突入。今もぎこちなさが残る関係なのは親子ともに認めるところだが、蓮は「父の教えがベースになっていると、今になってすごく感じる」と感謝は忘れない。「蓮がそんなことを言うのか」と半信半疑だった学さんも、衝動的に胸に飛び込んで来た息子を抱き留め「全部伝わってきた」としみじみと感慨に浸った。(共同)
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