田宮裕涼 7点差逆転のサヨナラ弾につながった小田2軍打撃コーチとの絆「もう、お父さんみたいな…」
6月15日の広島戦でサヨナラ本塁打を放ち、ヒーローインタビューを受けた田宮
1軍再昇格後すぐの広島戦で劇的弾
日本ハムの田宮裕涼捕手(25)が6月15日の広島戦(エスコン)で放ったサヨナラ本塁打は、間違いなく今季のハイライトとなるだろう。一時は7点のビハインドを背負いながら、チーム一丸で同点に追いつき、延長戦の末に背番号64のバットが劇的な勝利をもたらした。
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浮上のきっかけとなった的確な助言
このとき、田宮は1軍に昇格したばかりだった。打撃不振に陥り、5月19日から6月12日まで2軍で調整を続けていた。浮上のきっかけとなったのは、プロ1年目から指導を受けている小田2軍打撃コーチとの時間だった。
「ずっとファームで一緒にやっていた小田コーチと、久しぶりに鎌ケ谷に来て話ができたことは、すごく良かったです。やっぱり小田コーチはずっと見てくれているので、僕が悪くなっているところもすぐに的確に教えてくれますし、ずっとやっていたからこそ、すぐに的確なアドバイスもくれる。こういうのをやってみたらどう? みたいなことを言ってくれて、それを僕もすぐに理解できた。やっぱり、ボールと自分の距離の取り方っていうんですかね。だんだんタイミングも遅くなったりとかして、1軍のピッチャーのボールに差し込まれたりすることが多かったので、そういうタイミングの取り方とか、ボールの見方とかっていうのを一緒に練習してもらって、そこが一番だったかなと思いますね。前から練習もずっと一緒にやっていたので、練習の仕方も、すごい分かりやすいです」
6月15日広島戦の延長十回無死、人生初のサヨナラ本塁打を放った田宮
同期と同じ強度ではできなかった
2人の出会いは6年前。小田コーチは懐かしそうにルーキーだった田宮との練習の日々を振り返る。「やっぱり、見て分かる良いものは持っていましたよね。当てる感覚とか。ただ、同級生に万波とか、野村がいたので、同じ年でしたけど体の面が違った。体ができていなかったので、野村、万波と同じような練習量、強度のものはこなせなかった。そういう意味で少し、時間はかかってしまいましたけど、すごい頑張りましたよね」と目を細めた。
今後の育成につながる一つのモデル
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練習の強度を上げることはできなくても、田宮は真面目にコツコツ、毎日15分のドリルを欠かさなかったという。小田コーチは「1、2年目、当時は良いことばっかりじゃなかった中で、試合後に一緒に練習していました。自分の中でいろんな感情があったと思うんですけど、コツコツ、コツコツ、自分で決めたことと向き合っていた。出てくる選手は、やっぱりそういう選手なんだって、教えてもらいました。それは、今後の育成にもつながってくるなと思います」と、教え子を今後のモデルケースの一つにしていくつもりだ。
小田2軍打撃コーチ
素直な頑張り屋さんだったからこそ
野球面では、入団時とは比べものにならないほどの成長を遂げた。一方で、性格は今も変わっていないと、小田コーチは言う。
「素直で頑張り屋さんですよね。すごく素直。あと、最初は意外だったんですけど、プラス思考で明るい。だから、みんなに応援してもらえますし、良い情報が集まる。みんな、何とかしたいって思うんでしょうね。それって、人柄だと思いますよ。そういうところはすごく、田宮の良いところ。今回2軍に来て、久しぶりに接しましたけど、そういう部分、根本は変わっていないなって思いました。平田だったり、後輩が『田宮さん』って慕っている姿を見ると、裕涼ちゃんも後輩に目標にされるような選手になったんだなと思って、何かうれしいですね。いろんな経験をしたと思いますけど、全てが必要なことで、今の姿を見ていると、良い時間を過ごしたんだなと思います。下積みが長くて、苦しい時期もあったと思いますけど、それはそれで必要な期間だったのかなと。技術ももちろんそうですけど、そういう後輩の気持ちとかを分かってあげられる。それが田宮の優しさだし、良いところじゃないかな」
6月15日広島戦でサヨナラ本塁打を放った田宮
これからも〝父〟のアドバイスで
いつも、温かく見守ってくれる小田コーチのことを、田宮は「もう、お父さんみたいな感じです」と信頼している。「プロ野球は、コーチとかすぐにかわる世界じゃないですか。そんな中で、ルーキーから見てくれている人がいる。うまく、成長した自分を見てもらいつつ、まだこれから成長できるようにアドバイスをもらいたいなと思います」。これからも時に頼りながら、〝親孝行〟を続けていく。
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