高校野球
2023/03/07 11:30

帯広北高野球部に元真狩高の斎藤監督が就任 さまざまな指導経験を生かす《新天地で輝く》

帯広北高野球部監督に就任した斎藤さん(右)(学校提供)

中学、高校、大学、社会人でも野球指導経験

 1987、89年に夏の甲子園に出場した帯広北高野球部の監督に昨年12月、釧路市出身の斎藤啓太さん(39、札学院大出)が就任し、年明けから本格的に始動した。2010年から3年間、真狩高で監督を務め、その後は高校野球の現場から離れていた。中学硬式、大学、社会人でも指導経験があり、帯広北高テニス部部長時代には、男子団体2年連続インターハイ出場をサポート。各分野での指導経験を生かして、10年ぶり復帰の高校球界で初の公式戦勝利、その先にある甲子園出場を目指す。

 古豪再建を託された。2016年に帯広北に赴任して6年。再びノックバットを握ることになった指揮官は「随分長かかったなって感じです。今はやる気に満ちあふれてます。燃えてます。甲子園出場からしばらく空いてるし、卒業生の方って野球部だけじゃなくて、母校愛の強い方が多い。もう1回強い北高を復活させる」と意気込んでいる。十勝支部は近年、白樺学園がけん引してきているが「まず白樺に追いつけ、追い越せ」と、まずは十勝最強を目標に掲げた。

厳しいだけでは選手はついてこない

 真狩では、単独出場した10年春から13年秋まで率いたが未勝利(10年秋は辞退、12年は3校連合)。当時は血気盛んな20代中盤で「相当厳しかったと思います」と苦笑いを浮かべる。

 13年春、札幌学生野球連盟に所属する、母校・札幌学院大から監督を打診され転職。ところが、それまでの指導方法では、大学生の心をつかむことはできなかった。「実績もない、中途半端なやつが怒ってブチギれても言うこと聞かない。アンガーマネジメントしながら野球も勉強しました」。14年秋に1部との入れ替え戦を制し昇格を果たしたが、15年春に2部降格すると責任を取って退任。札幌琴似工高で期限付き教員についたが「私立高校で勤めてみたかった」と16年春に私立の帯広北に転職した。

目からうろこ、テニス部部長時代に全国への指導法を学ぶ

 帯広北では、指導者次第で子供たちの未来が大きく変わることを再認識した。赴任時はテニス部監督。それまでテニスの指導経験はなく、全国大会とは縁もなかった。廃部寸前の危機にひんしたこともあったが、19年春、法政二高を18年の全国選抜準優勝に導いた北浦真斗さん(34)が監督に就任。すると2年後の21年には男子団体、個人ダブルスで全国高校選抜とインターハイに初出場。昨年も2年連続で両大会に出場し、男子ダブルスでは8強入り。一躍、道内の強豪校に引き揚げた。みるみるうちに成長する子供たちを、部長として間近で見てきた。「そういうアプローチがあるんだと勉強になった。野球もテニスも人がやることには変わらない。彼の徹底の仕方とか、選手とのやりとり、5つも後輩ですけど、学びにもなったし刺激にもなった。全国で結果出すっていうのはこういうことなんだな」と目からうろこが2枚も3枚も落ちたという。

技術練習よりも選手と正面から向き合い寄り添う

 新チームは2年生が15人、1年生はわずか3人。昨年12月に監督に就任すると、早速選手との面談を繰り返した。「1人1人の話を聞くと、もっと上手になりたいという思いがあった。1年生は『僕らの代、ひょっとして連合とかになるんですか』と不安を抱いていることも分かった」と、技術練習よりも選手と正面から向き合い寄り添うことに時間を割いた。1月9日の新年初ミーティングでは「みんなバラバラなことを言うんですよね。全道行くとか、甲子園に行くとか、応援されるチームになりますとか。そういうのをちゃんと整えてあげると、いまは目の色を変えてやり始めている。能力的にはそんな低くない。時間はないけど、できることを伸ばしていってあげると、夏は勝負できるかな」。最終的な今季のスローガンを「甲子園に行って熱い戦いをする」に設定し直した。

大阪桐蔭や京都国際の指導陣とも野球談義

 積極的に道外へも足を運んだ。1月7日からリトルシニア和歌山市長杯を視察。同じく大会を視察に訪れていた甲子園常連の大阪桐蔭や京都国際の指導者らと野球談義をした。さらに、元MLBワシントン・ナショナルズのトレーナーで、現在、オリックスの山岡泰輔ら多くのプロ野球選手が師事するパーソナルトレーナーの「マック高島」さんのオンラインサロンに3年ほど前から加入。「じっくり話を聞きたい」と、広島県内の本拠地を突撃訪問。球速や回転数、軸の傾きなどを計測できるラプソードなどを使った最新トレーニングを見学。「刺激的な時間でした」と今後の強化へヒントを得た。

4月から新1年生17人が入部

 新1年生は17人が入部予定。「北海道の野球っぽくないチームを作りたい。甲子園に出てくるチームは、めっちゃ打つし、ピッチャーもめっちゃ球が速い。個人的な技量が高い、そこから目を背けたくない。2004年の駒大苫小牧の甲子園優勝を大学生の時に見ていた。やっぱ指導者としては、もう一度、日本一が取れるようなチームを作りたい」。壮大な夢の実現へ、帯広からの挑戦が始まる。


プロフィール 斎藤 啓太(さいとう・けいた) 1983年12月25日、釧路市生まれ。釧路寿小3年時に、寿とんけし野球少年団で競技を始める。釧路北陽高3年時は主将で「4番・一塁」で北大会に出場した。札学院大を卒業後、釧路江南で期限付き教員と野球部コーチ。07年から3シーズン、クラブチームのブレーブくしろでコーチ兼選手としてプレー。教員免許取得後の10年に真狩高に赴任。13年春に退職し、当時札幌学生連盟2部の札幌学院大監督に就任。14年、15年春のリーグ戦終了後に退任。札幌琴似工高での期限付き教員を経て、16年春に帯広北高に転職。19年10月から21年10月まで中学硬式のとかち帯広リトルシニアで監督。同高テニス部では部長として2021年、22年にインターハイ出場。175センチ、108キロ。家族は妻と長女。

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