《元赤黒戦士の現在地・岡田佑樹後編》元ブラジル代表も評価したその実力 「2番」を背負い続けた理由は
2005年6月18日の福岡戦で先制ゴールを決めたDF岡田(左)
札幌加入までの紆余曲折
かつて北海道コンサドーレ札幌で活躍したOBの現在と過去に迫る『元赤黒戦士の現在地』。現在『C2cafe』(シーツーカフェ、札幌市西区琴似1条2丁目6-1)を経営する岡田佑樹さん(42)の後編は、2003年から07年まで札幌でプレーした5年間を中心に、プロサッカー選手時代を振り返る。札幌加入までのエピソードや、プロ2年目での背番号変更秘話、そして自身を高く評価してくれたあのW杯戦士などについて語った。(以下、敬称略)
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藤枝東高時代からプロ注目のプレーヤーだったが、高校卒業時にはプロ入りの選択肢を選ばずに、大学への進学を志望していた。だがここで、岡田にとって想定外の事態が発生してしまう。「推薦で落ちたんですよ、大学に。予想外で。推薦で落ちたやつ、誰もいなかったから(苦笑)。勉強も好きなので、普通に勉強して、浪人して入ろうと思って」。
センター試験まで1カ月というとき、まさかの…
時折地元の社会人チームでプレーしつつ、大学進学を目指して受験勉強第一で励んでいた1年間。だがセンター試験まであと1カ月ほどという時期に、再び思いがけないアクシデントに襲われる。交通事故に遭い、右手に大けがを負ったのだ。
眠れないほどの痛み、そして受験直前で利き手が使えなくなるというピンチ。そんな中で、今度は良い意味での思いがけない出来事が舞い降りた。川崎のスカウト時代から岡田に注目し、2003年から札幌の強化部長を務めることが決まっていた、城福敬から獲得オファーの連絡が来たのだ。
「フロンターレ時代に城福さんが声を掛けてくれていて。(高卒で)プロになる気はなかったので断っていたんですけど、1年経っても誘ってくれて。地域のチームでたまにサッカーをやっていたぐらいで、1年のブランクもあったけれど、声をかけてくれたのですごくうれしかったですね。ありがたかったです」。最終的に左手でセンター試験を受験したが、この時点では既にプロ入りを決断。初日の試験が行われた03年1月18日、新シーズンからの札幌加入が発表された。「予備校からサッカー選手になりましたね(笑)」。
2003年に札幌に入団した岡田(後列左から3人目)
1年でクビになる覚悟「それでもいいや」
1日でも長くプロを続けたいという思いを持ってプロ入りする選手が多い中、当時の心境は「1年でクビになる覚悟で来ていたというか。それでもいいやと思って来ていたので」という、他者とは少し異なるもの。だが、このある意味で気負いのない姿勢が功を奏したのか、6月14日に札幌厚別で行われた湘南戦(1△1)で、後半28分から途中出場すると、次節のアウェー広島戦(1△1)では初の先発入りを果たし、そこから9試合連続でスタメン出場。7月2日のホーム大宮戦(6○2)では、後半3分にFW堀井岳也とのワンツーでゴール前に抜け出し、プロ初ゴールをゲットした。
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記憶に残るプロ初ゴール 「結構きれいな…」
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「あれは覚えていますね。結構動画とかも見ていたし、(記憶にも)残っていたし。結構きれいな感じの得点だったので、一番覚えています」。この年の札幌には年間合計で39人の選手が在籍。岡田と同ポジションの選手も多数いた中で、ルーキーながら16試合(先発12試合)に出場するなど、存在感をアピールしてみせた。
2003年7月2日の大宮戦でプロ初ゴールを挙げたDF岡田(右)が試合後にDF西沢と抱き合う
プロ2年目となった04年、札幌は財政難からクラブの強化方針を大幅に転換。前年までの大型補強路線を見直し、育成型クラブとしてリスタートを切った。多くのベテラン選手や外国人選手が退団し、プロ歴の浅い選手たちがチームの大半を占める中、前年に一定の活躍を見せていた岡田には、33番からの背番号変更が打診された。「あのときは3-5-2(の右WB)と、4-4-2(の右SB)を両方やっていて、できれば前の(ポジションの)方が良かった。レギュラーになりたい、レギュラーとして中心人物になりたい、みたいな願望があって。「番号は何がいい?」と聞かれて、基本的にはあまり図々しく言わないタイプなんですけど、なるべく若いレギュラー番号がいいです、みたいに言って」。
リクエストしたのは「レギュラー番号の若い方」
このときイメージしていたのは、前年まで在籍していたMF酒井直樹がつけていた背番号。「直樹さんが抜けるタイミングだったから、7番がいいなと思って。右サイドでしたし。そう思ってレギュラー番号の若い方がいいです、と言ったら、ディフェンダーの番号の2番だった(苦笑)」。
思いがけず〝若すぎる番号〟を背負うこととなったが、これ以降の現役生活では、藤枝時代(22番)を除き、一貫して2番を着用。現在経営するC2cafeの店名には「『C』ONSADOLE(コンサドーレ)の『2』番」という意味合いも含まれているなど、岡田を象徴する番号となった。
そこそこ出て、そこそこの活躍「満たされてはいない」
その04年には26試合(先発21試合)に出場。翌05年にはアウェーでの甲府との開幕戦(2△2)でチームの第1号ゴールを決めるなど、38試合(先発35試合)で2得点をマーク。ルーキーイヤーから右肩上がりで出場試合数を伸ばしていたが「順風満帆だと感じたことは、やっていて一度もなかったですね」と、当時を振り返る。「試合に出ていた頃は、(チームの)結果はそんなに良くないですし。2年目とかは最下位でしたし。でも僕的には内容はめっちゃ良かったんですよ。内容は良かったけど、結果が付いてこないよな、というシーズンで。でも未来は明るかった気がする。(3年目は)普通ぐらいかな。そこそこ出て、そこそこの順位(12チーム中6位)で、そこそこ活躍して、という年で、満たされてはいないかな。2点は少ないなと思いますし」。
2005年6月18日の福岡戦で先制ゴールを決めたDF岡田(右)とFW相川
「あの年が一番自信あったな」4年目の06年
だが翌06年、状況が一変する。新加入のMF芳賀博信が右WBの定位置を確保し、同年札幌ユースから昇格した、右サイドを主戦場とし各年代の世代別代表経験を持つMF藤田征也が台頭。岡田は試合出場はおろか、一度もリーグ戦のベンチに入ることなく、シーズンを終えることとなった。だが意外にも自身では「あの年が一番自信あったな」と、このシーズンを振り返る。
その理由が、この年札幌でプレーし、38試合25得点をマークしてエースの座に君臨していたFWフッキの存在だ。「僕、フッキ(を止めるの)が得意だったんですよ。相性の問題だと思うんですけど、(練習で)1回も抜かれなかったんです。1試合も出ていないけれど、一番誰よりも上手いと思っていた」。他チームを圧倒し続けるストライカーをシャットアウトする、自身のプレーに手応えを感じる一方で、なかなか試合に使ってもらえず、心が折れそうになる日々。そんな岡田を励ましてくれたのは、他ならぬフッキだった。
「フッキに、何でお前が出ないの? って言われて、それがうれしかった。あれだけの選手が認めてくれて。それが自信を失わずにできた要因かな」。後にヨーロッパでも活躍し、14年のブラジルW杯ではブラジル代表の一員としてプレーした世界的ストライカーからの高評価が、闘争心を燃え続けさせる原動力となっていた。
柳下監督から三浦監督へ
06年シーズン終了をもって、3年間チームを指揮してきた柳下正明監督が退任。3バックを採用してきた同監督に代わり、翌07年からは4バックを基本戦術とする三浦俊也監督の就任が決定した。前年のリーグ出場は0だったものの、その能力を評価していた強化部は岡田を残留させ、右SBのポジション奪取への期待をかけた。
だが蓋を開けてみれば、三浦監督が採用したのは、4バックの全てに長身DFを配置するという超守備型戦術。「最初のうちは頑張ってヘディングを練習したりしていたけれど、そういう問題ではなかった」。この年、最も右SBとして先発起用されたのは、CBタイプの選手である181センチのDF西澤淳二。172センチの岡田にはなかなかチャンスが巡ってこず、シーズン途中からは前目のポジションでの出場を目指したが、結局この年もリーグ戦出場は0。チームがJ1昇格を達成した一方で、同年限りでの契約満了が決まった。
もしも筋トレバリバリのムキムキになっていたら
その後、栃木SC、水戸、藤枝と、プロ生活は11年間続いた。その日々を振り返る中で、実はもうひとつ見てみたい自分像があったという。「僕はスピードとか、(運動)量(豊富に)動くことが長所だと思っていたから、あまり筋トレで(体を)重たくしなかったんですけれど、重くした世界も見たかったというか。筋トレに特化して、長友(佑都)みたいに量を走るけれど、スピードも落とさないけれどもどっしりして、みたいな鍛え方もしたかったなとか」。そのような姿を見てみたかった半面、やはり当時を知るサポーターには、豊富なスピードと巧みなドリブルで右サイドを華麗に突破していく勇姿が強く刻まれていることだろう。
プロ1年目だった03年、札幌ドームで行われた開幕戦で見た光景に、強い印象を受けた。「初めてドームで(サポーターの)応援を見て、すごいなと。当時はガラケーで動画を初めて撮れるようになったぐらいだったと思うんですけど、それを撮っていて感動した記憶がありますね」。サポーターの姿に感動を受けた岡田はその後、自らがサポーターを感動させるプレーの数々を披露。そして今、再び札幌の地で、自らが追い求める味で人々に感動を与えるべく、理想の店づくりに励んでいる。
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■札幌サポーターへのメッセージ
「コンサドーレの選手がお店をやっているよ」と、サポーターの方々が言ってくださると思うんですけど、そのときに「良いお店だね」と思ってもらえるような店をつくっていきたいですし、それをやるので、思い出したら食べに来て、飲みに来てほしいなと思います。
■プロフィール 岡田 佑樹(おかだ・ゆうき) 1983年10月4日生まれ、静岡県出身。藤枝東高卒業後、東海1部に所属していた中央防犯藤枝を経て、2003年に札幌入り。同6月14日湘南戦(札幌厚別)で後半28分から途中出場しプロデビュー。同7月2日大宮戦(札幌ドーム)の後半3分に初ゴールをマークするなど、リーグ戦16試合1得点の成績でプロ1年目を終える。翌04年からは背番号2を背負い、同年は26試合出場、翌05年には38試合2得点と、右ウイングバックや右サイドバックの位置でチームを支えた。07年シーズン終了後に札幌を退団し、08年からは当時JFLの栃木SCに加入。主力としてチームのJ2昇格に貢献する。11年から当時J2の水戸、そして13年は当時JFLの藤枝でプレーし、同年限りで現役を引退。14年から札幌市内で『C2cafe』を経営している。札幌での5年間のリーグ戦通算成績は80試合3得点。Jリーグ通算成績は173試合7得点、JFL通算37試合出場。現役時代のポジションはMF、DF。