【月刊コンサドーレ1月号】深井一希インタビュー「誇りと決断」《赤黒の肖像》
文=斉藤宏則 写真=溝口明日花
1月号の発売前に〝ちょい読み〟
道新スポーツデジタルでは、毎月発行されている「月刊コンサドーレ」の記事の中から一部を抜粋し、発売に先がけて公開します。今回は12月25日に発売される1月号からMF深井一希(30)のインタビュー「赤黒の肖像」を抜粋。記事の途中までですが、購入前の参考にしてもらえたら幸いです。

コンサドーレで始まり、コンサドーレで終わる。
5度の手術、続く痛み、それでも前へ―。
北海道コンサドーレ札幌の中心に立ち続けてきたMF深井一希は、キャリア最後の一戦を目前に静かに語り始めた。取材が行われたのは最終節の前。まだピッチに立つ前にもかかわらず、深井の表情にはどこか清々しさが漂っていた。痛みとの果てしない戦いを乗り越えた先に何を見たのか。そして、なぜ彼は「スッキリした心境」でラストマッチを迎えようとしていたのか。数々のけがと向き合いながらも歩みを止めなかった〝コンサドーレ一筋〟の13年。その心の内に迫る。
極限の痛み、その先にあった決意
―選手生活最後の試合が目前となりました。現在の心境は。
もともとの性格でもありますが、これまでの試合と比べて気持ちの高ぶりとか、寂しさといった特別な感情は今のところないですね。もちろん、クラブが僕のために最終節に向けて、さまざまな企画を考えてくれたり、練習後などに多くのサポーターから声をかけてもらったり、そういったことへの感謝はものすごくあります。
あえて言葉にするなら、スッキリした心境です。引退を決断するまでは「どうしようかな…」といったようなモヤモヤ感がありました。5度の手術を行った膝の状態も日々、変化していましたし。ここ1~2年は、ずっとそんな心理状態で過ごしていましたから、引退を決めてからは本当にスッキリした気持ちになることができました。本音を言うと、膝が本当にもう限界で、最終戦が終われば痛みとの戦いからもやっと解放される。そうした意味でも、本当に前向きにすべての力を出し切れると思っています。

―膝の痛みは、それほどまでに強かったんですね。
昨年から今年にかけては毎日が痛みとの戦いでした。特に起床時は膝が固まったような状態になっていて、起き上がって歩くことも大変で。そうした日々でしたから、しんどかったです。今季開幕前は「それでも自分は、まだまだやれるんだ」と意気込んではいましたが、気持ちとは裏腹に、だんだんといろいろなことが難しくなっていきました。
一昨年に5度目の手術を受けました。医師から「手術をしても、痛みが軽減するかどうかは分からない」と言われたのですが、その時はまだ「その診断を覆してみせる!」という強い気持ちを持っていました。しかし、同時に「そうは言っても、より厳しくなってきているな…」とも感じていて。そして、実際に術後も痛みは強いままで、その頃から少しずつ心理的にも引退に傾いたような気がしています。
―どのような感触の痛みなのでしょうか。
どういう痛みかというと、筋肉を通り越して足の骨に直接、ドリルを突き刺すような痛みです。もちろん、そんなことは実際にやったことはありませんが(笑)、感覚としてはそのくらいの痛みです。
以前は膝に痛みが出ても、数日休ませれば回復していました。でも、ここ1年はまったく痛みが引いてくれなくて、僕としても未知の領域。そして、痛みというのは不思議なもので、極限に達すると一周回って何も感じなくなるんです。感覚がまひするんでしょうね。
引退を発表してから、たくさんの人に「まだまだやれるでしょ」と声をかけていただきました。そう言ってもらえるのは本当にうれしいですが、実際にはもう限界で。ですから、今の率直な心境をお伝えすると、早く最終戦を終えて痛みとの戦いから解放されたい(笑)。まあ、それは冗談としても、自分がよくここまで頑張ってきたと思いますし、それを支えてくれた方々に、やはり最後はプレーで感謝の気持ちを示したい。最終戦でしっかりと力を出し尽くしたい。そのように考えています。
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■プロフィール 深井 一希(ふかい・かずき) 1995年3月11日生まれ、札幌市出身。身長179センチ、体重80キロ。コンサドーレ札幌のU-12、U-15、U-18とクラブ一筋で育った、生粋の〝赤黒の申し子〟である。2013年にトップチーム昇格。U-17ワールドカップに出場した経験もある。一方で、前十字靱帯断裂などの大きなけがに何度も見舞われ、計5度にわたる手術と長期離脱を繰り返す。それでも何度でも立ち上がり、ピッチへ戻ってくる姿は、多くのサポーターの心を強く揺さぶり、〝不屈の男〟として称賛の的に。16年のJ2優勝とJ1昇格、19年のルヴァンカップ決勝進出などの節目を経験。25年シーズンを最後に現役引退を発表。引退後は指導者の道に進み、クラブの下部組織でコーチとして活動する意向を示している。