【一問一答】若林晃弘 引退会見で手本となった先輩に感謝「坂本さん、小林誠司さん、丸さんであったり…」
引退会見で涙をこらえきれなかった若林=撮影・近藤裕介
■イースタン・リーグ17回戦 ヤクルト8-2日本ハム(9月28日、鎌ケ谷スタジアム)
日本ハムの若林晃弘内野手(32)が28日、鎌ケ谷で引退会見を行った。同日の2軍ヤクルト戦に「3番・三塁」で先発出場し、第1打席に右中間フェンス直撃の三塁打を放って、有終の美を飾った。一問一答は以下の通り。
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―(引退会見冒頭のあいさつ)
「本日は、このような場を設けてくださいまして本当にありがとうございます。今シーズン限りで現役を引退する決断をいたしました。8年間、本当にいろんないいこと、悪いこともたくさんあったんですけど、たくさんの方々に出会えて、貴重な経験をができて、本当に幸せな野球人生でした。これから野球界に少しでも貢献できればと思っておりますので、今後ともよろしくお願いします」
―この後、引退試合を迎える気持ちは
「そうですね。本当に正直、引退試合をやっていただけると思ってもいなかったので、野球を辞める最後の瞬間、引退試合という形でやっていただけることが、本当に幸せなことだなと思いますし、本当にそういう場をつくってくださった球団関係者の皆様には感謝の気持ちです。ありがとうございます」
2軍ヤクルト戦で三塁打を放ち、代走を送られ、スタンドにあいさつする若林
―日本ハム、巨人、それぞれで思い出に残っている試合や打席、出来事は
「そうですね。ファイターズではやっぱり、移籍してすぐエスコンで4番で新庄監督が使ってくださって。本当にプロ野球の中で僕が4番を打つとは正直思っていなかったので、そういう経験をさせていただいて。すごく緊張もしましたし、新しい環境でいろんな思いもありながら、立った初めての打席。いろいろ感じるものもありますし、印象深い打席ではあったんですけど、やっぱり初ヒットの時もすごくうれしかったので、そこの1打席、2打席というところは、ファイターズの中では印象が強い打席でした。ジャイアンツでは初ホームランですかね。初打点とかもすごくうれしかったんですけど、東京ドームでホームランを初めて打てたというところは、やっぱりすごく自信にもなりましたし、あの観衆の中、ファンの皆さんの前で打てたというところはすごく、自分の中で1番印象に残っています」
2024年3月12日オープン戦対広島、移籍初日に4番で初出場した若林
―引退後、どのようなことをしたいと思い描いているか
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「詳しいことはまだ決まってないんですけど、僕はケガだったり、多くのそういう失敗を経験してきたので、後輩とか野球界で、この失敗を繰り返さないためにも、そういう指導であったり、僕ももっと勉強したいことがたくさんあるので、ちょっとずつ僕自身も成長しながら、球界にちょっとでも貢献できていけたらなと思っています」
―2軍にいる期間が長かった。チームをどう見ていたか
「やっぱり若い子たちが、ここまでファイターズは育っていますし、僕もその中で争わせてもらいましたけど、これからのファイターズを背負っていく子たちは、ああやって優勝争いをしていて、本当に1試合も落とせない状況はなかなか経験できないものなので、そういう場で戦っている選手を見て、うらやましく思いながら、僕は正直、そういう場でできる体の状況ではなかったので。悔しい思いもありますけど、1軍がそうやってどんどんどんどん成長して強くなっていく姿を見て、僕もファイターズにいて、すごく刺激をもらいましたし、そういう争いを見させてもらって、すごく僕としても、生き生きやらせてもらったので、本当に見ていて楽しかったです」
―血行障害などもあった。今振り返ってみて、一番つらかったけがは
「肉離れだったりは、しょっちゅうやっていたので。ただ、血行障害というのは自分では予想していなかったところで、手術にも踏み切りましたし、正直、状態としてはあんまりこう、良くはなっているんですけど、自分の感覚だったり、思うようなところが遠いところだったので、そういうのもプレーに影響したり、そういうところの崩れから、やっぱりいろんな箇所が大きく……肉離れも何度も両脚やってしまったりとか、それが原因で腰が痛くなったり、いろいろあったので。血行障害と両ハムストリングスの肉離れというのは、僕の選手生命の終わりを早める原因だったと思います。ただ、そこは僕の体なので、僕自身の責任と思っています」
―巨人時代は、原監督からいろんな形で起用された。原監督への思いは
「監督の、原さんの起用が僕を生かしてくれたと思っています。たまたま尚輝(吉川)がけがをしたりとか、そういうタイミングも重なって、いろんな選手でセカンドを回したりとか。そういう中で、僕の良さというものを、僕が気づかない部分で引き出していただいた。プロの世界で、こういう生き方をしていけばいいんだという、道を示してくれた方なので、本当に感謝しています。引退の連絡もさせていただいて、食事のお誘いもしていただいて。今後もたくさんお世話になってるんですけど、僕がプロで8年間できたのは、原さんの起用のおかげで、そういう選手という周りの認知もあって、それをしてくれたのが原さんだったので、本当に感謝してます」
―引退の連絡をして、心を打たれたり、ジンとくるようなメッセージをくれた人は
「そうですね、本当に皆さん温かい言葉をかけていただいて、誰というのを選べないぐらい………(しばらく涙ぐむ)……すみません。お世話になった先輩がたくさんいたので、一人一人の言葉が心に残っています」
会見中、涙ぐみながら目頭を押さえる若林
―鎌ケ谷で過ごす時間も長かった。若い選手たちと一緒に練習して、手本になってきた。今後、特に期待したい後輩は
「僕はたくさんケガをして正直、練習をあんまりできなかったんですけど。やっぱり昔から練習しなきゃ気が済まないタイプだったので、そんな中でも、できる限りのことはやるようにはして、自分自身が見本になるつもりというよりも、選手としてやるべきことをやるいうということは大事なことだと思うので、それを意識した結果、周りがそうやって見てくださって、後輩にいい影響を与えているのであれば、それはそれで、ファイターズに来た意味があったのかなと思います。やっぱり、いろんな思い出のある選手がいっぱいいますけど、僕の中ではファイターズでは内野手というのは切磋琢磨して特別な思いがありますし、個人的に仲が良い選手はいっぱいいますけど、やっぱり決めきれない。内野手、僕は、いろんなきつい思いもある中で、分かり合える仲間なのかなと思っていたので、そこは気にかけながら今後、応援していきたいなと思います」
―原監督からの言葉で、印象に残ってるものは
「怒られたことばっかりなので、怒られたことの方が多い印象ですけど、選手として、武士みたいなことをよく、原さんはおっしゃっていたので、そういう気持ちの面であったり、『もうちょっと自信を持ってやれ』ということはよく言われたので。最後の挨拶をした時も、『もうちょっと自分に自信を持って、堂々とプレーすることができたら、もっともっと長くやれたんじゃないかな』というお話をいただいて。気持ち的な部分でたくさん指導していただいた。本当に技術というよりも、どういう精神力で戦うかを、そんな言葉で、僕はジャイアンツの中で揉まれてきたので。戦う戦(いくさ)じゃないですけど、そういう強い気持ちを常に持つということは印象に残っています」
―この8年間で、これだけはやってきたと自信を持って言えることは
「やっぱり練習というか、準備に対してですかね。僕が誇れることというのは。なるべく朝早く球場入りして、常に戦闘態勢をつくるためにも、体の準備は人一倍、時間かかるというのもあったんですけど、そこに対しての準備だったり、いろんな先輩方を見て、僕もそういう準備の大切さを学んできた。最初は真似から入り、自分でやるべきことがだんだん分かってきて、そういう準備が大切なところで、朝から練習も複数ポジションを守っていたので、ゲーム前の練習で限られた時間の中ですけど、いろんなポジションで、どこで出るか分からないという中で、自分が成功させられるように準備をしてきたので、そこは自分としては一番大事にして、誇れることかなと思います」
―巨人では、どの先輩から影響を受けたか。また、どれぐらいの時間に球場入りしていたのか
「僕はやっぱり坂本さんであったり、小林誠司さんであったり、丸さんであったり、年代が近いながらもベテランで実績のある人たち、そういう方たちを見ていて、やっぱり僕らよりも球場入りが早かったり、そういうのを見てきた。それだけ長く活躍されている方たちがやっているということは、もう正解として僕は受け止めたので。そういう人たちの姿を見て、経験させてもらって、なるべくこう、自分の準備を、できる時間を見つけてやりました。大体、ナイターだと球場入りは11時半とかですかね。11時、11時半ぐらいには入って、練習してという感じです」
―一番乗りだったのでは
「そうですね。(球場に)入って、いつも丸さんが隣の席で、隣にいたという印象ですね」
―一番に引退を伝えた人は
「家族ですね。はい。引退を伝えたというよりも、正直、両親にはここ数年で僕のけがも重なっていたので、そろそろかもという匂わせはしていたんですけど。ただ、僕も去年、契約していただいた時には、活躍すればまだまだできるし、活躍できなければ辞める覚悟で、と話をしていたので、それは本当に口だけじゃなくて、もうそういう覚悟のもと、僕がプレーしていたので」
中島(左)から花束をもらう若林
―家族の反応は
「もう、やっぱり僕が決めたことだったので、尊重してくれました。父親も元プロなので、そこら辺の理解はすごくしてもらっているので、驚いたというよりも、もう本当にお疲れ様という感じで、声をかけてくれました」
―家族への感謝の思いは
「もう、本当にそれは。ちっちゃい時から野球をやらせてもらって、僕のわがままをここまでやらせてもらったので、本当に感謝の気持ちでいっぱいですね」