ファイターズ
2025/08/15 19:15 NEW

《ハム番24時》8月15日

 

 昔話になるが、ご容赦いただきたい。2008年1月。記者は当時20代後半。日本ハム担当になったばかりでプロ野球取材が初めてだった。勝手が分からない中、ドラフト1位で入団してきた中田翔をマークすることが、メインの仕事になった。

 ファーストコンタクトで度肝を抜かれた。新人合同自主トレが終わり、鎌ケ谷の勇翔寮前で話を聞いていた。大阪桐蔭高時代から脚光を浴びてきた中田は人懐っこい性格で、大勢の報道陣に囲まれることにも慣れていた。無防備に、思ったことを口にしている印象があった。

 プロ野球選手として社会人1年目を迎える。年俸は当時、ルーキーの上限いっぱいとなる1500万円(推定)。お金は母が管理することになっていたが、1カ月の小遣いはいくらなのか―という質問が飛んだ。「30万円や。それぐらいないとなんも買えん」と真顔で答えた。目が点になった。18歳で小遣い30万? 同世代の月給より多い…と声が漏れそうになったが、そばにいた先輩記者たちは全く表情を変えず「そうなんや。それで…」と続きを促していた。

 そう、あえて泳がせていた。すると「クロムハーツを買ったらすぐなくなるやろ。プロは付き合いも多し、大変なんや」と豪語した。裏表のない素直な発言や振る舞いは新鮮で楽しかった。そして昭和の香りがした。顔なじみの記者ばかりだと、互いに敬語を使わず、話すことを望んでいた。こちらも、それが心地よかった。

 一緒に食事をして、会計しようとすると「オレの顔を立てろや」と怒ったふりをして、絶対に払わせてくれなかった。こちらが10歳も上なのに…。熱血漢で破天荒でさみしがりやでおちゃめで華がある選手。いろいろあったが、記者の彼に対する印象は今も変わらない。18年間、本当にお疲れさまでした。

2008年の新人合同自主トレで「怪物」と入った手袋を履いてトレーニングする中田

  

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