北海OB・鎌仲純平さんがダウンタウン・浜ちゃんの母校で野球部監督に就任
2015年に北海の4番として甲子園に出場した鎌仲さんが、三重・青山高校野球部の監督に就任した=提供写真
高校野球100年の甲子園で開幕弾
2015年夏の甲子園開幕試合で本塁打をマークした北海高出身の鎌仲純平さん(27)が今年5月、全寮制の三重・青山高校野球部の監督に就任した。校名変更前の日生学園二高時代には1989年のセンバツ甲子園と2000年夏の甲子園に出場していたが、近年は低迷。来年度のアスリートコース開設に合わせて、国学院大や社会人野球の強豪・スバルで培った実績に白羽の矢が立った。初陣は7月6日の三重大会1回戦。今度は指揮官として、聖地を目指す。
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2015年夏の甲子園の鹿児島実業戦、本塁打を放った北海の鎌仲
目標は10年以内に甲子園3回以上
縁もゆかりもなかった三重で、再び野球界に帰ってきた。「今、三重で下から1位です。だから面白いじゃないですか」とやる気に満ちている。「1年目でチーム文化の構築、2年目でその文化の継承。3年目は東海大会進出と甲子園出場。5年目には東海大会常連校、10年以内に甲子園3回以上出場」と、明確なビジョンを掲げた。
監督就任オファーに二つ返事 三重で一番のスポーツ学校にしたい
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同校はお笑い芸人・ダウンタウンの浜田雅功(62)の母校として有名。鎌仲さんは22年シーズン限りでスバルを退社後、一般企業や保険会社に勤務していたが、現役時代に懇意にしていた用具メーカーを通じて声が掛かった。「日生学園と聞いて、なにか聞いたことあるなと思って。テレビでPLと日生はやばい、みたいな」とすぐにピンときた。「三重で一番のスポーツ学校をつくりたい、甲子園で勝てるチームをつくってほしいとオファーをいただいた。僕も野球界へ戻りたいと思っていたので、二つ返事で『やります』と即答しました」。それまで住んでいた神奈川から、三重に移住した。
まずはグラウンド整備から着手
部員は1年生から3年生まで14人。最初に手をつけたのは荒れ放題だったグラウンドの整備。東京ドーム16個分の広大な敷地に、両翼94メートルの専用球場と、室内練習場やトレーニングルームも完備されているが、近年は成績の低迷で活動が縮小。近所の公園で練習をするような状態だった。「体育課があった時に、甲子園の土を入れていたと聞いていたので、全部掘り起こして、ふるいを全部かけて。1週間ぐらい、毎日7時間ぐらいグラウンド整備をしてました。だいぶ見違えました」。まずは足場をしっかり固め、ようやくスタートラインに立った。
北海で学んだことを続けたら…
練習は週に2回程度だったが、週6回の練習でオフは月曜日だけに改めた。指導内容は「野球うんぬんよりも、あいさつ、返事、会話するとか、自分で考えるとか、北海高校で学んだことですよね。とにかくそれを続けていたら、野球も自然とうまくなってきた」。並行して、来年度のアスリートコース開設に向け、現役時代のコネをフル活用して大阪、兵庫から沖縄など、全国の中学生を視察に回っている。
2015年7月南北海道大会を制しチームメートに胴上げされる北海の鎌仲主将
高校だけで終わってほしくない
目指す野球は時代に逆行する。「昭和の野球って結構、好きで、気合、根性とか。一般就職して分かったけど、最終的にそこが勝つと思うので、最後まで諦めないプレースタイル。そのためには負けない野球をするのが一番。守備と走塁、誰でもできるようなことは徹底。高校だけで野球は終わってほしくないので、木製バットを積極的に使って、木製バットでも振り負けないようなスイングを1番から9番(打者)までできるような体づくり。メインは守備ですけど、打撃の方は強打とバント」。次のステージを見据えて指導する。
いつか母校と対決を
恩師の北海・平川敦監督(54)には監督就任のことを1カ月前に報告。「頑張れよ」と短い言葉だったが、「遠くで応援してくれていると思います」と、心にしみた。いつか母校と対決する日を夢見る。「そんなおこがましいことを言ってられないけど、できたらね、倒したいですよね」。道産子指揮官が、三重の地で第2の人生を歩き始めた。
■プロフィール 鎌仲 純平(かまなか・じゅんぺい) 1997年年8月6日、旭川市生まれ。幼稚園年長で旭川・永山ちびっこクラブで野球を始める。中学は旭川聖園中で硬式の旭川北稜リトルシニアでプレー。同3年時にリトルシニア日本代表に選出。北海高では1年夏にベンチ入り。3年夏に4番・左翼で甲子園に出場。開幕戦の鹿児島実業戦で本塁打をマークした。国学院大を経て社会人のスバル入り。2022年に日本選手権に出場し、そのシーズン限りで退団。その後、一般企業や保険会社勤務を経て、25年5月に三重・青山高校監督に就任した。177センチ、83キロ。