元札幌・山瀬功治が母校の北海高サッカー部OB会に出席 同級生だった石水社長からのオファーは…
OB会で名前入りのユニホームをプレゼントされて笑顔を見せる山瀬さん=撮影・西川薫
2000年から札幌で3年間プレー
北海高サッカー部のOB総会が10日、札幌市内で行われ、昨季限りで現役を引退した元コンサドーレ札幌の山瀬功治さん(43)が出席した。山瀬さんは2000年に札幌に入団してプロのキャリアをスタートさせ、レノファ山口FCに在籍した24年までで延べ8クラブでプレーし、23年には24シーズン連続ゴールの日本タイ記録も樹立した。当面はプロとして最後のキャリアを過ごした山口を拠点に活動していく。
選手である前に素晴らしい人であれ
1999年6月23日、全道高校サッカー選手権兼全国高校総合体育大会道予選の札幌日大戦でプレーする当時・ 北海3年のFW山瀬さん(左)
高校3年間で学んだ一番の財産は技術ではない。一番大事にしていた言葉は、北海高の部訓の一つでもある「素晴らしい選手である前に素晴らしい人間でいよう」だ。「サッカーに限らずですけど、集団行動、組織として動くことを考えた時に、やっぱりそこで大事になってくることは、(人と人の)つながりであったり、相手を尊重する、リスペクトすること。人間性の部分ってのはすごく大事だと思うんですね。ちょっとくさいセリフですけど、サッカーの青春時代っていうのにエネルギーを注いで、様々な思い出だとかを築けた3年間でもあるんですけど、人としてすごく成長した部分があったかな。現役を続ける中でもすごく大きかった3年間です」。一人の人間として土台となった大事な高校生活だった。
心が震えた1万人超のスタジアム 厚別で決めたプロ初得点は一生…
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3シーズン過ごした札幌での思い出を問われると「ゴールで言えばやっぱり、初得点じゃないですか」と即答。ルーキーイヤーの00年5月4日のホーム湘南戦(札幌厚別)で決めた決勝ヘッド。「あれは多分、一生忘れることはないでしょう。当時の僕ら高校生っていうのは1万人を超える観客の前でサッカーをするという経験がない中で、初めてあれだけ多くのサポーターの方たちがいる中でサッカーをする。ちょっと自分が今まで経験してきたサッカーの熱というか、雰囲気だとかとは異質な感じがしていた中でゴールをして、会場の盛り上がりや熱狂は人生の中で初めての経験だったので、あれはちょっと心震えました。忘れることはできないなと思いますし、コンサドーレの3年間の経験、先輩方、コーチングスタッフの方から指導してもらったことが25年間のプロ生活の礎になったのは間違いない」。長きに渡って現役を続けることができたのは札幌での経験があったからこそだった。
2000年5月4日J2第10節ホーム湘南戦の延長前半、リーグ戦初出場のMF山瀬(左)がVゴールを決める。右は元札幌MF野々村
第2の人生では解説者に大食いも
すでに第2のキャリアは始まっている。4月の横浜F・マリノス-東京ヴェルディ戦で解説デビュー。さらに「今、社会人1年目なので、頂いた仕事は基本的に何でもやりたい」と、最近ではバラエティ番組にも出演するなど精力的に活動の幅を広げている。
北海高OBを前にしたあいさつでは、「この先は、指導者になるのか、最近はちょっと大食いをしたりだとか、いろいろやらせていただいてますけど、プレーヤーである前に素晴らしい人間であろうという、その精神を忘れずに、今後のセカンドキャリアに取り組んでいきたい。僕もOBの一員として、少しでも北海高校サッカー部の発展と活躍をすごく期待していますし、できることがあれば還元していきたいですし、もっと言えば日本のサッカー界に少しでも自分の経験を還元できたら」と、何事にも北海魂でチャレンジしていく構えだ。
札幌で行われた母校・北海サッカー部OB総会であいさつする山瀬功治さん
引退セレモニーで石水社長と再会
山瀬さんの引退と前後するタイミングで、北海道コンサドーレ札幌の運営会社の社長に就任した石屋製菓の石水創代表取締役社長(43)とは北海高の同級生。引退セレモニーが行われた3月2日の山口-札幌戦には石水社長もチームに帯同。現地で再会を果たした。コーチングスタッフなどへのオファーの有無に関しては、「社長もまだなられたばっかりなんでね。忙しいと思いますし、タイミングとご縁だと思うので、そういうことがあれば考えたい。機会があればいいですね、また」と、やんわりと否定したが、近い将来、地元クラブに数多くの経験を還元する機会は、タイミングさえ合えば訪れることがあるのかもしれない。
3月2日の山口-札幌戦、引退セレモニーで札幌のサポーターと写真を撮る山瀬さん
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