清宮幸太郎ってどんな人?【有料会員限定】厳選エピソード集 選りすぐりの13本!
清宮を知ることができるエピソードが満載
※文中の肩書きは当時のもの
①幼少期(2023年8月26日掲載)
今でこそ、明るく穏やかで誰からも愛されるキャラクターだが、幼少期には違った一面もあった。「僕、昔は穏やかじゃなかったんですよ。小学校低学年とか、めっちゃ小さい時ですけど、ラグビーをやっていてトライしたチームメートに殴りかかったりしていたんです。味方にですよ。自分でトライしたかったので。なんでパスしないんだって。親からは、おまえのせいで2人ぐらいやめているぞって、怒られました」。気持ちをコントロールすることができなかった当時を思い返し、「子どもでしたね」と頭をかいた。
大人への階段を上るきっかけになったのは、間近で見ていた母の姿だった。
「送り迎えだったり、お弁当を朝早くから作ってくれたり、洗濯もそうですし、本当にいつ寝ているの?っていう生活をずっと送らせてしまっていた。厳しかったですけど、すごく世の中のことを知っていて、聞いたら何でも答えてくれる。大切に育ててくれて、ずっと尊敬しています。そういうところを見て、自分は大人になったんだと思います」。自分のために無償の愛を注いでくれる存在のおかげで、いつしか周囲への思いやりを忘れない好青年へと成長を遂げた。
毎年、母の日に気持ちを込めて花を贈る。親への感謝を胸に、きょうも清宮はバットを振る。
②プロ初2打席連発(2022年5月5日掲載)
〝大明神パワー〟も授かっていた。前日4日の練習中、近藤が右内腹斜筋肉離れを発症させ、長期離脱となった。この日、隣のロッカーで荷物整理をしていた近藤に香水をかけられたという。
「『これで行け』って。(ロッカーに)帰ったら(香水が)置いてあったっす。匂い? めっちゃいいです。そりゃ近藤さんですもん!」
春季キャンプ中には、思うような打撃ができず、自ら近藤に助言を求めにいった。それまでは腕でバットを走らせようとしていたが、体幹でバットを振る意識を説かれた。「(打球が)飛ばない理由が分かった。あとはコンさん(近藤)の感覚をどう自分の感覚に落とし込むか。言っていることは把握できた」と、約2時間に及んだ〝近藤塾〟で確実に前に進んでいた。
さらに、同じ年の友人からもヒントを得た。近頃、出力不足を感じていた清宮は、ラグビー・リーグワン1部の浦安で活躍するSH飯沼に「普段どんなトレーニングしてる?」と連絡したところ、「コアとかクリーンとかをよくやるよ」と体幹や瞬発力を重視したトレーニングをしている情報をゲットし、実践していた。
「きょうは近藤さんと飯沼君、あと稲葉さんと金子さん。あとはこどもの日だったので子どもたち、ファンのみなさんのおかげ。たくさんありますね、恵まれています。(2本塁打は)『おかげさま弾』で」
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③自己最多タイ7号(2022年6月8日掲載)
元来、明るく野球に取り組む清宮も、精神的に追い詰められた時期はあった。3年目の2020年はキャリアワーストとなる7失策を犯しており、失点につながるミスも多かった。
同年9月20日ロッテ戦、1点リードの九回2死一、二塁。飛び出した一走を刺そうとした清水の一塁への送球がそれた。一塁を守っていた清宮も懸命に左手のグラブを伸ばしたが、後逸し、二走が同点のホームを踏んだ(記録は清水の失策)。試合も逆転負けを喫し、これまで経験にないような悔しさを味わった。
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「一番覚えている。タッチを急いじゃって。それで二塁ランナーがかえって来て同点になって。それまでも、すごいエラーが続いていて。もう…大変だった時はありました」と苦しい日々を振り返った。
それでも一歩一歩、階段を上っていくしかなかった。金子野手総合兼打撃コーチが「少しボールの見方が良くなってきている」と評したように、打席内での進歩は見せている。ルーキーイヤーの18年終盤には、栗山前監督から打席での1球1球に対して、自身が考えていたことを書き出す〝宿題〟を課されていた。「普段からやっているので、その時だけっていう感じではない」。今でも過去の打席を映像で見返すなど、1年目から積み上げてきた883打席は確実に生きている。
鳴り物入りで入団した〝期待値〟からすれば、物足りなく映るかもしれないが、成長のスピードは人それぞれ。今季はそれを一気に加速させる予感を漂わせている。
④8号(2022年7月3日掲載)
昨季はプロ4年目にして、初の1軍出場なしに終わった。何かを変えなくてはいけない―という危機感を抱いていた。オフにソフトバンクの柳田に弟子入りしたのも、その気持ちの表れだ。さらに、柔軟性や関節可動域に効果があるとされる「初動負荷トレーニング」にも本格的に着手した。休みの日には、トレーナーの了承を得て、札幌市内にある同トレーニング施設「ワールドウィング」に公共交通機関を使用して、自らの足で通っている。
5年目のシーズンもすでに折り返し地点を過ぎている。7月に入り、今年もまた熱い季節がやってきた。2022年は、清宮の夏にする。
⑤11号(2022年7月9日掲載)
理想の存在が、相手チームにいる。自主トレをともにし、多くの助言をもらった柳田だ。本塁打数では1本リードを奪ったが「まだまだ僕とはレベルが違う。(本塁打数は)結果としてそうなっていますけど、きょうも初回にいいところでタイムリー打ったりしていますし、チームへの貢献度はもうまるで違う。まだまだ追いつけない」と敬意を示した。
1軍出場なしに終わった昨季、清宮は鎌ケ谷で早朝打撃練習を続けてきた。敵地・所沢で西武戦が行われる際、バスの出発が午前7時10分と早朝だった日も、同5時起きで室内練習場に姿を見せ、黙々とバットを振っていたという。2軍でも結果が出ない時期があったが、必死の取り組みを見守っていた当時の原田2軍監督(現アマスカウト)は「清宮は復活する。間違いない」と太鼓判を押していた。
今季がプロ5年目。けがや病気にも悩まされ、苦しみながら成長を続けてきた。打てなくても前向きに野球と向き合い続けてきた日々が今、ようやく報われ始めようとしている。
⑥初球宴でサヨナラ弾(2022年7月26日掲載)
スター選手が集まる大舞台に、初出場の清宮は練習中からソワソワしていた。とはいえ、またとない機会。新庄ビッグボスの「先輩、後輩関係なく、いい選手のところに行って、プラスになるアドバイスを聞けたらいい」という指令に応えるかのように自ら動いた。
話を聞きに行ったのは、現パ・リーグ本塁打王の山川だ。もともと面識があり「よくシーズン中もお話しさせていただいている。でも、今回は時間があるので、より細かくというか、話し込めるすごく良い機会になりました」。
練習後から30分ほど、じっくり打撃のアドバイスを受けた。「山川さんはすごく親切な方で、親身になって話してくれる。(打撃の)基本的な話というか、今後にすごくいい話をしていただきました」と感謝した。
⑦17号(2022年9月17日掲載)
17本塁打、46打点はチーム2冠。ただ、.212という打率が示すように、好不調の波が大きく、安定した結果を残せなかった。清宮は「(変えていないのは)アディダスのバッティンググローブとレガースとかじゃないですか。いっぱい食べるのは続けています」と冗談交じりに話すほど、試行錯誤を繰り返した。稲葉GMや金子野手総合コーチ、さらにはトレーナーの助言なども取り入れながら、確固たるものを見つけようと必死だ。
体の面でも「Foot+(フットプラス)」という十字型の足部トレーニングツールを使用するなど、調整は怠らない。この「Foot+」を足で踏み、つかみ、持ち上げたりすることで、普段使わない筋肉を刺激し、体のバランスを整えている。
5戦4発を記録し、20本塁打も視野に入ってきた。ヒーローインタビューでは「やるしかないです。まだまだ打ちます!」と高らかに宣言。ラスト10試合、大砲としての進化を示す。
⑧プロ初満塁弾(2022年9月27日掲載)
打率.218が示すように、うまくいかないことも多かった。その一方で、一流選手の集まるオールスターでは一番輝いた。最後の「プラスワン投票」で球宴初選出されると、第1戦でいきなりサヨナラ本塁打を放ち、MVPをかっさらった。球宴前のヒーローインタビューで「ホームランを打ってMVPを獲ります!」と高らかに宣言。有言実行の一発だった。
その賞金300万円は、いつもチームを支えている裏方さんたちのために使用した。寮長や打撃投手らに、それぞれの名前が入った特注のリュックをプレゼント。受け取ったスタッフの1人は「大事に使います」とうれしそうに語っていた。
山あり谷ありの2022年シーズンも、もうすぐ終わる。プロ初安打など、多くの思い出が詰まった札幌ドームとも28日でお別れだ。酸いも甘いも経験させてもらった。「一生忘れることのない場所。感謝の気持ちを持って、かみしめてやりたい」。夢の続きは、新球場「エスコンフィールド北海道」で見せる。
⑨エスコン開幕戦でチーム初安打(2023年3月30日)
運命的な〝再会〟だった。開幕セレモニーで大型ビジョンに映し出された映像は、小さい頃からよく見てきた絵にそっくり。「みんなうんち」「きんぎょがにげた」「まどからおくりもの」など数々の名作を生み出した偉大な絵本作家・五味太郎さんが手がけたものだった。
清宮は五味さんと野球仲間だ。幼少期から家族ぐるみの交流があり、小学生の時には、五味さんの草野球チームに交ざって試合に出たこともある。「昔から仲が良かった。好きな絵本はいろいろありますけど『みんなうんち』ですかね。きょうビジョンに五味さんの絵が流れていて、運命を感じましたし、うれしい気持ちになりました」と力をもらって、記念の一戦に臨んでいた。
⑩9試合連続安打(2023年8月2日)
持ち味の打撃では、好調が続いている。1点を追う三回には同点の中前適時打を放ち、9試合連続安打をマーク。九回には左翼フェンス直撃の二塁打で出塁した。打率を.296まで上げ、「何とか…必死で一本出しています。ギリギリでやっています」と汗を拭う。
そんな清宮の活力は、大好物のミノだ。「しょっちゅう食べています」とニンマリ。焼き肉店では1人で10人前を平らげるなど、仲が良いチームメートの万波、今川からは『ミノ宮』とあだ名を付けられている。
北海道からの移動日だった7月31日も、「ミノチャージしました。間違いないっす!」。塩ミノを食べて、英気を養った。レギュラーシーズンも残り2カ月。独特の歯ごたえが魅力の好物でパワーチャージし、打って、打ちまくる。
⑪サヨナラ呼ぶ二塁打(2024年4月19日)
4月上旬の2軍戦。チャンスで凡退し、ベンチに戻ってきた清宮は『感謝』という言葉を口にした。自身のふがいなさに、悔しさを爆発させたい場面。「どんな振る舞いをするのだろう」と見ていた稲葉2軍監督は、その姿に成長を感じたと話す。
『感謝』の意味を、本人は照れながら明かす。「凡退して、すごく内容も良くなくて。切り替えたくて。いっぱい後輩たちがいる中で、貴重な打席をいただいているので。あとはけがした時とか、そういう感謝の気持ちをパワーに変えられたらと。めっちゃカリカリしそうだったので、我慢して。良くない時はプラスに考えられるようにしています」
プロ7年目を迎え、年下の選手も増えた。けがを経験し、プレーできることは幸せだと、あらためて知った。だからこそ、怒りをぐっとこらえて、前向きに振る舞ったという。
幸太郎の名前にピッタリな神経伝達物質も関係している。「リハビリ中から心がけるようにしていました。ドーパミンではなく、セロトニンで打つです」。〝幸せホルモン〟の異名を持つセロトニンが分泌されると、脳の過剰な興奮や不安を抑え、心身ともにリラックスする効果があるとされている。
「ドーパミンは一時的というか快楽を求める。僕はそういうタイプではない。セロトニンは、ジワーと来る。親からの手紙とか持続性がある。それをうまく力に変えて。例えばですけど、亡くなったじいちゃん、ばあちゃんの顔を思い浮かべて打席に入るとか。そういうのがセロトニンパワーなんです。感謝の気持ちで打てましたみたいな」。『感謝』といった脳が喜ぶプラスの言葉を発するように習慣づけている。
⑫25歳の誕生日(2024年5月25日)
7年目の今季は、春季キャンプ直前に左足首を捻挫。4月19日に1軍昇格を果たしたが、結果を残すことができず、ファームで誕生日を迎えることになった。
25歳の抱負は「やっぱり見返してやりたい気持ちが強いです」とキッパリ。「今はすごくモヤモヤしていますけど、(シーズン)終わった時にしっかり活躍しているように。いまは基礎をしっかり作っていきたい。しっかり打席の中で自分のスイングをする。迷いなく行くというのが大事」と誓う。
前日24日は休日。24歳最後の夜は、ドラフト同期の田中瑛斗投手(24)との〝函館デート〟を楽しんだ。「本当ですよ~。24歳最後の日をアイツに取られた!」と言いつつも、どこかうれしそう。観光の目的は「コナンの聖地巡礼」だった。
函館は大ヒットを記録している人気映画『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』の舞台。「ちゃんと予習していかないと最後の衝撃が伝わらない」と右腕から勧められ、遠征前に映画を鑑賞した。
22年オフにイベントで訪れた際「赤レンガ、五稜郭は野村と行った」と、今回は日本三大夜景として名高い函館山展望台へ。眼下に広がる100万ドルの夜景に「コナンでも函館山、めちゃめちゃ出てくるんですよ」と大興奮。田中瑛と2人で写真を撮り、どちらがキレイに撮影できたか競い合ったという。
24歳最後の日を満喫し、20代後半に突入。「僕の思い描いている25(歳)は、もっと大人なイメージです。まだ、子どもですね。これからです」。ここから巻き返し、少しずつ大人の階段を登っていく。
⑬プレミア12初戦で勝利に貢献(2024年11月13日)
2017年秋。ジャパンのユニホームに身を包んだ清宮は、U-18W杯が行われたカナダ・サンダーベイで目に涙を浮かべていた。カナダとの3位決定戦に快勝したものの、目標としていた世界一に届かず。主将として、4番として、大きな責任を感じていたのだ。
今回のプレミア12は、それ以来の国際大会出場。当時を振り返りつつ、今大会に向けて頼もしい言葉を発した。「悔しかったですね。全然、打てなかったので。でも、当時とは心境も違いますし、前は金属(バット)から木みたいなこともありましたけど、今は本当にやってきた経験、自信があるので、そういうのを出せればなと思います」。
高校時代は木製バットへの対応に苦労し、本領発揮できなかった。今の清宮にはプロの世界でもがき苦しみながら、試行錯誤してきた7年間の積み重ねがある。
ただ、ここまでの歩みは思い描いてたものと違った。ドラフトで7球団が競合し、鳴り物入りで日本ハムに入団したが、度重なるけがに、打撃不振…。21年東京五輪、23年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)といった主要国際大会とは縁遠く「悔しかったです。だから全然、(試合を)見ていないです。逆に」。
目を背けていたが、心を揺さぶられた試合があった。東京で生まれ育った清宮にとって、プロ入り前から出場を熱望していた東京五輪。決勝で同学年のヤクルト・村上が先制のホームランを放ち、金メダル獲得に貢献した。うらやましいという感情もあったが、スマートフォンを取り出し、村上に「最高だった」とメッセージを送信。現実と向き合い、決意を新たにした。
今季は左足首のけがで出遅れたが、夏場から巻き返し、チームの2位躍進に貢献。日の丸を背負って戦う大舞台に、ようやく立てるようになった。
涙が染みこんだ高校時代のユニホームは、自宅で大切に保管している。あれから7年。あのときかなえられなかった世界一を目指す戦いが、ついに幕を開けた。