《元赤黒戦士の現在地・芳賀博信中編》たどり着いたプロの世界 主将としてつかんだ優勝の栄光
07年にJ2優勝&J1昇格
北海道コンサドーレ札幌でキャプテンを務めた芳賀博信さん(41)の「元赤黒戦士の現在地」中編は、プロ入りまでの道のりや、主将としてJ1昇格を果たした2007年シーズンを中心に紹介する。(以下、敬称略)
プロになりたい気持ち強かった
宮城県で生まれ育った芳賀は、地元のサッカー強豪校である仙台育英に進学。2年生のときには全国高校サッカー選手権に出場し、背番号10を付けて活躍したが、卒業時はプロからの声が掛からなかった。
4年後のプロ入りを目指し、仙台大学に進学するも「(最後の)もう2年が自分の中で耐えられなかった。プロ入りに対してチャレンジしたい気持ちが強かった」と、2年で大学を中退。セレクションを受験し、03年からは当時市原(現・千葉)の下部組織チームとして活動していた市原アマチュアチームでプレーすることとなった。
アマでやりながらバイトで生計
Jリーグクラブの下部組織とはいえ、その立場はプロではなくアマチュア。芳賀はプレーする傍ら、「焼き肉屋とかパチンコ屋とかでバイトもやって。当時は夜練習だったので、朝から夕方での仕事を探していた中で、ある程度、給料がもらえるということで、とび職もやりました」と、サッカーとは別の仕事で生計を立てる日々を過ごしていた。
オシム監督に評価されて練習参加
そんな芳賀に転機が訪れたのが翌04年。当時市原を指揮していた故イビチャ・オシム監督に評価されてトップチームの練習に参加すると、その年の9月にトップチームへの昇格が決定。市原アマチュアへの加入から約1年半で、ついにプロ入りを果たした。プロ契約を交わしたときは「やっとか、という感じで。自分としてはもっと早く契約を結べるイメージだった」と振り返る。
だがプロ入り以降、なかなか出場機会に恵まれず、公式戦出場は04年のリーグ戦1試合のみ。そんな芳賀に再び転機が訪れたのが、05年のシーズンを終了した後だった。当時J2の札幌からの獲得オファーが届いた。
カチンときた「オシムの言葉」 意図はあとになって気付かされた
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チームへの残留と2択に悩んだ芳賀だったが、「オシムさんに相談したら『札幌に行って出られないんだったら、俺のところで練習してろ』って言われて。それにちょっとカチンときて、(札幌に)行ってやるって」と移籍を決断した。
突き放すような「オシム監督の言葉」だったが、これには芳賀の性格を熟知した名将の意図があったそう。「後々になって聞いたのは、あいつにはああ言った方がいい、みたいな計算があったみたいで。オシムさんに転がされてました(苦笑)」。
札幌では主力として46試合に出場
移籍オファーを受諾し、06年から札幌の一員となった。「すぐ馴染みました」との言葉どおり、主に右ウイングバック(WB)として全48試合中、先発で46試合に出場。移籍初年度にもかかわらず主力として活躍した。当時、就任3年目の柳下正明監督(64)の下でJ1昇格は叶わなかったが、天皇杯ではクラブ史上初のベスト4入りを達成。4回戦では古巣の千葉と、かつての本拠地・フクダ電子アリーナで対戦。「楽しくできた」という一戦で古巣を撃破し、ジャイアントキリングを成し遂げたのだった。
三浦監督から主将に任命
札幌2年目となった07年、またも大きな転機が訪れる。この年から指揮を執った三浦俊也監督(61)にチームのキャプテン就任を命ぜられた。「熊本キャンプの最後の方、それこそ(開幕戦の)京都に移動する前の日だったかな」。突然のオファーだったが、「他の人がなるんだったら、俺の方がいいかなと思って。キャラクターではないけれど」と、その大役を受け入れた。
第2節から11戦負け無し
すると京都との開幕戦こそ0-2で敗れたものの、次戦からは11戦負けなし(8勝3分)で首位を独走した。この年から主にボランチで起用されていた芳賀は、得点を挙げるたびにゴールを決めた選手の元へ駆け寄り、「雰囲気が良くなるかなと思って(笑)」と手荒い祝福を浴びせ続け、チームのムードを盛り上げた。
プロ初得点では「道」が見えた
そんな芳賀にプロ初ゴールという待望の瞬間が訪れたのが、同年6月27日のホーム草津(現・群馬)戦だ。同点で迎えた後半15分、敵陣の高い位置でボールを奪うとそのまま持ち上がり、ペナルティーエリア外から右足を一閃。強烈な弾丸シュートは、相手GKの手を弾いてゴールネットへと突き刺さった。「よくストライカーが『道が見える』って言うけど、そういう感じだった」。
ゴール直後、ここまで芳賀から手荒い祝福を受けてきたチームメートたちは、ここぞとばかりに取り囲んで〝お返し〟を実施。「息ができなかった(苦笑)」と、嬉しい初ゴールの場面を懐かしむ。
最終節で水戸を撃破して逆転優勝
J1昇格戦線を軽快に駆け抜けていた札幌だったが、夏場から徐々に失速の兆しが見え始め、東京V、京都との三つ巴の展開に。最終節直前には2位に転落し、昇格は危ぶまれたが、最終節のホーム水戸戦を2-1で逆転勝利すると、引き分けに終わった首位・東京Vをかわして優勝。6年ぶりのJ1昇格を最高の結果で成し遂げた。
主将としての重圧
キャプテン就任1年目での昇格達成。当時は「優勝しました! とか、そういうのはなくて、けっこう冷静な感じだった」という。主将という立場から、「最後がバタバタしてしまって。もう少し楽に(J1に)行けたんじゃないかなと思いつつも、上がるということはこれだけ大変なんだなということを実感して」。その重圧から最高の形で解放されても尚、反省点ばかりが頭をよぎった。
現実を知った08年
翌08年は、自身にとって3年ぶりとなるJ1での戦いだった。前年に引き続きキャプテンを務めたが、チームはシーズン序盤から下位に低迷。芳賀も悩める日々を過ごした。「主力として出ていた中で『こんなに勝てないんだ』って。チーム全体としてのメンタルコントロールも難しかったし、他のJ1とは技術が全然違って『差があるんだな』というのを実感させられた1年だった」。夏場以降、勝利から遠ざかってしまった札幌は、最下位となり、再びJ2へと逆戻りした。
09年はキャプテンを他の選手に譲り、34試合に出場して1得点をマーク。10年も35試合に出場と主力選手であり続けたが、次の11年、芳賀の前に幾多の苦難が訪れる―。
■プロフィール 芳賀 博信(はが・ひろのぶ) 1982年12月21日生まれ、宮城県出身。仙台育英高から仙台大に進むが、大学を中退して市原(現・千葉)のアマチュアチームに加入。2004年9月にトップチームへ昇格する。06年に札幌へ完全移籍すると、全48試合中46試合に出場し、チームの主力に定着。翌07年にはキャプテンに就任し、J2優勝、J1昇格に大きく貢献した。11年には札幌で2度目のJ1昇格を経験し、翌12年シーズンをもって現役を引退した。札幌で7年間のJ1・J2リーグ通算成績は210試合2得点。現役時代のポジションはMF。