《元赤黒戦士の現在地・芳賀博信前編》選手のセカンドサポートと「ナマーラ北海道」の設立
07年のJ2優勝&J1昇格をけん引した6代目キャプテン
かつて北海道コンサドーレ札幌で活躍したOBの現在と過去に迫る「元赤黒戦士の現在地」。今回はチームの6代目キャプテンとして、2007年のJ2優勝、J1昇格に貢献するなど、06年から7シーズンに渡って札幌で活躍した芳賀博信さん(41)を紹介する。前編では、現役引退後も北海道を舞台にさまざまな活動を行っているセカンドキャリアを中心に話を聞いた。(以下、敬称略)
OB戦のピッチでは元気にプレー
11月3日に行われた札幌のOB会「CONSAOLDS」による「赤黒ドリームマッチ」に参加し、前後半合わせて約30分間プレーするなど、芳賀は12年シーズン限りでの現役引退から10年以上が経過したにもかかわらず、プレドのピッチ上で元気な姿を見せてくれた。
元選手のセカンドキャリア支援
現在は14年に自ら設立したNPO法人「セカンドサポート」の理事長として、元スポーツ選手のセカンドキャリア支援、ブラインドサッカーチーム運営、スポーツ振興などに尽力する日々を過ごしている。
「ナマーラ北海道」を10年運営
その活動の中で最も注目を集めているのが、北海道初のブラインドサッカーチーム「ナマーラ北海道」の運営だ。セカンドサポートを立ち上げた年の7月に設立されたチームは今年〝満10歳〟を迎えた。
チーム立ち上げのきっかけは、芳賀と一人の選手との出会いだった。「現役を引退してからは札幌のアドバイザリースタッフになって、いろいろなところにサッカー教室に行っていて。その中で、当時の盲学校(現・視覚支援学校)にお邪魔させていただく機会があって。そこで今のチームにいる子がブラインドサッカーをやりたいんだと言っていて」。
ブラインドサッカーチームが北海道になかった現状を知り
その声を上げた人物が、現在もナマーラ北海道の一員としてプレーしている戸谷隆之介(29)だ。芳賀は戸谷の希望を叶えるため、ブラインドサッカーチームを探したが、そこで思わぬ事実を知ることとなる。「北海道にチームがあると思っていた。『探してあげるから』って言ったのに北海道にはチームがなくて、やるんだったら関東に行かなければいけない」と聞き、「じゃあ、つくるか」と話は進んでいった。
戸谷との出会いによって北海道でのチーム設立を決断したが、当時は芳賀自身、ブラインドサッカーについての知識をほとんど持ち合わせていなかった。「知識が全然なかったので、一度、横浜の方のチームを訪問させてもらっていろいろと教えていただいて、北海道に持ち帰って、という感じだった」。
体験会などでメンバー募集
盲学校などでブラインドサッカーの体験会を実施して参加メンバーを募り、14年からいよいよ活動をスタート。芳賀もGK(※ブラインドサッカーのGKは視力的な制限は課されない)としてチームに参加したが、この10年の歩みは決して平坦なものではなかった。「一年一年、継続していくというところが重要でしたし、結構大会もある中で、資金の調達のためにスポンサーさんを募ったりするというのは、毎年苦労しています。まだまだ障害者スポーツに対する支援というのが現状で根付いていないのかなと思っています」。
東京パラリンピックで脚光 パリでは自力で初の予選勝ち抜き
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そんなブラインドサッカーが脚光を浴びたのが、21年の東京パラリンピックだ。初出場を果たした日本代表は、グループリーグでフランス相手に記念すべき初勝利を挙げると、5-6位決定戦ではスペインに勝利し、5位入賞を達成。続く24年のパリパラリンピックでは初めて予選を勝ち抜いて自力出場を果たすなど、日本のブラインドサッカーは着実に実力、知名度共に向上してきた。
勝負にこだわり全国ベスト4へ
創設から最初の10年が過ぎたナマーラ北海道。今後の展望を芳賀はどのように思い描いているのか。「障害者スポーツって、楽しむとか、健康のためにっていうイメージが元々あったけど、僕はプロでやっていたので勝負にこだわるところは最初の頃からずっと言い続けてきた。定期的に全国でベスト4に入るようなチームにしていきたいですね」。22年にはコンサドーレ、一般社団法人コンサドーレ北海道スポーツクラブと、それぞれ事業連携協定を締結。障害者スポーツのさらなる発展、普及を今後も目指していく。
カフェ「クルール」のオープン
その22年には、芳賀は新たなもう一つのチャレンジにも着手。札幌の平岸にカフェ「クルール」をオープンさせた。「僕の会社で、障害者のB型の就労支援施設をつくろうと思って、その中で飲食店という選択をして」。当初はスイーツのクロッフル専門店としてスタートしたが、現在は運営形態などを変更し、クレープや、ホッケのフライをパンに挟んだ「ホッケドッグ」などを提供するカフェとなった。
キッチンカーも所有しており、今夏の札幌のホームゲームに出店した際には、店頭に立ってサポーターと直接ふれ合った。「選手時代には知らなかったことも知ることができました。午後2時キックオフの試合でも、午前9時くらにはサポーターの方々が来るんだな、ということだったり。本当にサポーターに支えられているんだな」と実感した。
「北海道が好きだった」
自身のセカンドキャリアを送る地として、「住みやすくて、環境が良くて。北海道が好きだったというところが一番」と、現役生活の最後を飾った札幌を選択してから10年以上が経過した。これからも「今後、出てくるであろう引退した選手が、できるだけ生活に困らないような環境づくりができれば。いろいろな会社と関わって、自分自身も活動して。現役時代と同じような給料は払えないとは思うけど、そういうところに近づけるような、いろいろなセカンドキャリアの場を用意できたら」と願う。
中編および後編では、7年間を過ごした札幌時代を中心に現役生活について紹介する。
■プロフィール 芳賀 博信(はが・ひろのぶ) 1982年12月21日生まれ、宮城県出身。仙台育英高から仙台大に進むが、大学を中退して市原(現・千葉)のアマチュアチームに加入。2004年9月にトップチームへ昇格する。06年に札幌へ完全移籍すると、全48試合中46試合に出場し、チームの主力に定着。翌07年にはキャプテンに就任し、J2優勝、J1昇格に大きく貢献した。11年には札幌で2度目のJ1昇格を経験し、翌12年シーズンをもって現役を引退した。札幌での7年間のJ1・J2リーグ戦通算成績は210試合2得点。Jリーグ通算は211試合2得点。現役時代のポジションはMF。