高校野球
2023/08/13 22:00

道高野連派遣審判員で甲子園3試合をジャッジした北海の元主将・大矢塁さんが母校にエール【夏の甲子園】

13日の智弁学園-徳島商業戦で一塁審を務めた北海OBの大矢さん(撮影・小田岳史)

1994年夏の甲子園で史上初の南北北海道対決を制した北海OB

 夏の甲子園に出場している北海のOBで、岩見沢農業野球部の監督を務める大矢塁さん(46)が、北海道高野連の派遣審判員として全国高校野球選手権3試合で塁審を担当した。大矢さんは1994年夏の甲子園で実現した史上初の南北北海道対決で砂川北と対戦した北海の主将であり、現在はクラークと同じ空知支部の審判部長を務める。29年ぶりに足を踏み入れた聖地で感じた思い、14日に行われる予定の母校・北海の2回戦へ向けて、後輩たちにはエールも送った。

開会式ではクラーク、北海の入場行進を見届け感無量

 8月6日の開会式。一塁側最前列に並んだ大矢さんの前をクラークと北海が元気よく行進した。派遣は昨年12月に行われた審判部幹事会で内定していたため、「(北海が)出たらすごいと思ってたけど現実になった。自分の前を北海が行進して本当に泣きそうになった。まして(自身は)空地支部なので、クラークがいて、北海がいて、そこに自分が立ち会わせてもらうって、運命的な巡り合わせは感じさせてもらいました」。

開幕前日には聖地の芝を踏み、青春の思い出が甦る

 前日5日に別会場で行われた審判講習会後、聖地の土を踏んだ。「グラウンドレベルに降り立つと鳥肌が立った」。29年前は中堅で出場していた。その中堅付近を歩く機会にも恵まれ、「あ、この辺にいたんだな」と青春の思い出が一気にあふれかえった。

 甲子園では塁審のみ務める予定だったため、空知支部の協力も得て、今年の春季大会からエスコンフィールド北海道で行われた北大会決勝までの間、塁審を主に務めて本番に備えてきた。「今年の選抜に派遣で行った花田先生(札幌英藍)に球場の感じや、気を付けることを聞きました」。ほかにも過去に経験した歴代の先輩たちから助言をもらうなど満を持して甲子園に入った。

審判1試合目は緊張から周りを見る余裕がなかった

 聖地初ジャッジは8月8日の1回戦・日大山形-おかやま山陽戦。二塁審判を務めた。「緊張することは分かっていたけど、周りの方々から声を掛けてもらった。スコアボードに自分の名前が入っているのを見返して、グラウンド全体を見回して。立場は違えど『ここに立っていることが幸せだな』と感じながら、1試合目はあまり周りを見る余裕がなくて時間が過ぎた感じでした」と振り返った。

甲子園では審判も共に大会をつくる重要なピースの一つ

 同じ審判員ではあるが、北海道での審判と甲子園とでは常識が全く違った。「選手に対しての声掛けがすごいですよね。こんなに選手に声掛けるんだと。例えば凡退した選手がいたら『切り替えていくよ。まだ試合終盤、ここからまだチャンスがあるよ』とか。ただ判定するだけじゃない。(共に)大会をつくり上げる審判というのを非常に感じましたね」。自らも積極的に声掛けしてきたという。

次は監督として

 選手と審判、両方の立場で甲子園の土を踏んだ。残すは監督としての甲子園出場だ。「このグラウンドに入れるっていうのは、本当に限られたチームと人なので、今回、審判っていう立場は違えど入らせてもらって、やっぱりここにまた入りたいなっていう思いは当然強くなった」。

局面の精神状態は甲子園も地区1回戦も同じ

 岩見沢農業の新チームはすでに始動。「技術レベルは当然違うんですけど、野球に懸ける思いとか、苦しい場面でミスが出ちゃうとか、そういう試合の局面での精神状態は一緒。精神的な部分で怖くなるとか、ここでチャレンジしないととか、そういう状況にどうやって打ち勝つかというのは、地区1回戦の子たちも、何ら変わらない。チャレンジしているからこそ、あの舞台につながっているんだ」と、直接見た経験を新チームの1、2年生17人に伝え、またここから一緒に甲子園を目指していく。

29年前の夏 思い出の試合は宇和島東戦

 北海の主将で8強入りした29年前の夏、宇和島東との初戦が思い出に残っている。「『甲子園の試合はどんどん流れて行くよって、短く感じるよ』っていうのを言われていて。その時はサードコーチャーにいて、負けてる展開で『こうやってこのまま過ぎていくのかな』というところで、八回に同点になって、そこから一気に流れで勝っていった。今回のチームも粘り強さがありますけど、(当時は)あの宇和島東戦があったからこそ勝ち進めた」。その後は北海道対決の砂川北、小松島西を下して8強入り。そこから北海の夏の甲子園での勝利は、準優勝した2016年の快進撃まで、それが最後となっていた。

学生コーチだった平川監督は打撃投手を務めていた

 29年前、今の平川敦監督(52)は学生コーチ。「常にバッティングピッチャーをしていただいていた記憶が強くある。兄貴的存在ではあるけど、平川さんのタイプ的に、ガツガツ先輩感を出す人ではなかった。平川さんの球をしっかり捉えておけば、試合でも大丈夫かなって。身を粉にして投げていただいていた」と若き指揮官の当時の姿を思い返した。

母校の応援は声をからして

 塁審の担当試合は13日の2回戦・智弁学園-徳島商業戦で終了。あとは審判服を脱いで北海OBの一人に戻り、あす14日の母校の試合を見届けるつもりだ。延長タイブレークの激闘を制した10日の1回戦も三塁側内野席で当時の同期と共に観戦した。「準優勝した2016年以来、甲子園では2連敗だったので、その山は越えられたと思う。思い切ってやってもらえれば、力はある子たち」。次も声がかれるまで応援するつもりだ。

 

 

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