野球
2023/04/27 17:50

《人ほっとコーナー》独自の野球塾が人気の元プロ野球選手・杉山俊介さん(45)

元プロ野球選手で、現在は野球塾で小、中学生を教えている杉山さん(撮影・西川薫)

道内3カ所で野球塾「S-SPORTS BASEBALL ACADEMY」を展開

 元プロ野球選手の杉山俊介さん(45、砂川北高出)が、2021年3月に北広島市など道内3カ所で小学3年から中学までを対象にした野球塾「S-SPORTS BASEBALL ACADEMY」を開校し、口コミを中心に広まって大人気となっている。

 14年からロッテや日本ハムのベースボールアカデミーでコーチを務め、指導歴は今年で10年目に突入。今春の3期生は約100人が入校した。4月のある夜、北広島のエスコンフィールド北海道から車で約7分の室内練習場「ノースジャンボスタジアム」に集まった硬式・軟式チームに所属する11人の中学生は活気にあふれていた。

「最終的に北海道のため、野球のため、子供たちのために何ができるか」

 日本ハムベースボールアカデミーでの活動中、「僕もいい年になってきたんで、もうやりたいことが全部フリーでできるような環境をつくりたい。プロのアカデミーで7年以上経験して、最終的に北海道のため、野球のため、子供たちのために何ができるかっていうことを考えて。北海道の一部じゃなくて、北海道全体を盛り上げていきたい」と、43歳で一念発起。貯金をはたいて打撃マシンなどを購入。1期生は北広島市、旭川市、北斗町の3カ所、約60人からスタート。1年後に生徒数は2倍にふくれあがったという。

小学5年生以上に独自の野球カルテを作成して成長を記録 飽きさせず楽しく学ばせる

 これまでの生徒は約2000人。人気の理由は、杉山メソッドの肝となる小学5年生以上の受講生の成長を記録したオリジナルの野球カルテの存在だ。例えば打撃フォームの場合「どこが悪いのかっていうのが、ただ『体が開いてるよ』と言ったところで、何が開いてるか分からないじゃないですか。どこの段階で開いてるのか、何が理由なのかとか。ダメなところ、直ったところを年度末に生徒に全部渡しています」と、成長記録を作成。そのために「言ったこと、教えたこと、全部をメモしている。文字としても残すし、データとしても」。それを自宅に持ち帰り「スクールが終わった深夜とか、朝からずっとスクールまでとか」とパソコンと格闘しながらカルテに落とし込んでいくという。

 独自の練習プログラムは1000種類以上。「全ては軸なんですよね。バッティングの軸とか、投げる時の軸。重心がどうなってるかっていうことを整えてるだけなんですよ。ここが整わない限り、他をやったところで何も意味がない。軸を直せば、テークバックも勝手に変わってくる。1つの練習方法に合わない子がいたら、違うアプローチをしたりとか。同じ練習をしたら絶対に飽きるので、なぜこういうことをやるのかを説明しながら、楽しみながら強くなっていく」。月に1度、捕手専門のコースも開講している。

自身も高校時代に提出用と本音用の2種類の野球ノートを作成

 カルテ作成の原点は、自らの経験から。杉山さんは小学生から野球ノートをつけていた。「高校時代は2種類の野球ノートがありました。提出用と自分用。提出するとなったら、本音が書けないじゃないですか。小学校からずっとやってました。このボールを打ったとか、配球がどうだとか」。その経験が、いまの指導に大きく影響を与えているという。

元氣、本氣、一氣 母校の恩師・佐藤茂富監督から「三氣野球」継承

 母校の砂川北高では故・佐藤茂富監督から元氣、本氣、一氣の「三氣野球」の薫陶を受けた。「その中でも本氣が一番大事かなって。何でも本気じゃないと嫌なんですよね。遊ぶのも本気だし、野球やるのも本気だし、勉強することも。手を抜く人が嫌いなんですよね」。〝茂富イズム〟は杉山さんの中でしっかりと息づいている。

恩師は「勝つことより、子供たちがどうなるかを考えていた」

 1995年に捕手としてドラフト4位で横浜(現DeNA)入りしたが、砂川北高では2年春に背番号1番を付けた。その夏は甲子園に出場し、道勢対決を北海高と演じた。再現となった秋季全道大会決勝では七回途中から登板して1回⅔無安打。3年夏の北大会1回戦でも旭川実業高戦で七回から登板して2回無安打と好投したが、佐藤監督からは「スカウトはおまえのキャッチャーを見に来てんだ」と言われていた。「『別に試合に勝つとか負けるとか、そんな話じゃない。おまえはプロ野球に行きたいんだろう? プロ野球に行くためにどうするか。なのに、そこでピッチャーやって抑えて、甲子園行ったところで、おまえはプロ野球選手になれない可能性が出てくるから、それはダメ』と。勝つことより、子供たちがどうなるかを考えてたんですよね、佐藤先生」と今でも亡き恩師に感謝している。

教え子には「野球がもっと楽しくなるようにしてあげたい」

 今春、中学を卒業した生徒30人の多くが、強豪校に進学。「持ってる最大値を伸ばしてあげたい。だから全員プロ野球選手にしたいとか、そんなことは思っていないんですよ。野球がもっと楽しくなるようにしてあげたい。それが結果、プロ野球選手になったらいい」。1期生の最年長は今春から高校2年生。「気になります。こっそり円山球場とかに見に行くんですけど、何も言わず。でも、誰かに会ってしまうんですよね、それも楽しいですね」。グラウンドではつらつとプレーする教え子の成長を活力源に、未来のある球児たちに野球の楽しさを伝えていく。


■プロフィール 杉山俊介(すぎやま・しゅんすけ) 1977年6月5日生まれ、旭川市出身。砂川北高では1994年の夏、2年生捕手として甲子園に出場。島根・江の川高(現・石見智翠館)に6-5で同校の甲子園初勝利に貢献した。2回戦では北海高と道勢甲子園初対戦。故・佐藤茂富監督は、試合前に宿舎で行われた合同決起集会で「兄弟みたいなもの。2時間の兄弟げんかをしようじゃないか」と健闘を誓い合った。試合は1-10で敗れたが、これまでに道勢の甲子園対決はこの1試合のみ。3年夏は北大会1回戦で優勝した旭川実業高に2-4で敗れた。同年のドラフトで横浜ベイスターズから4位指名。2002年に福岡ダイエーホークスへ移籍し、6月に1軍デビューも03年に引退。04年にブルペン捕手でロッテ入りもシーズン途中に支配下登録され現役復帰。06年に日本ハムにブルペン捕手兼2軍マネジャーで入団。14年から21年3月まで、ロッテと日本ハムでベースボールアカデミーコーチを歴任。家族は妻と3女。184センチ、90キロ。

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