高校野球
2024/03/09 16:30

【北海14度目の春】①1988年大会 最初で最後の秋全道準優勝から甲子園1勝した堀松克之主将

1988年の選抜甲子園で西条農業相手に1勝を上げた北海OBの堀松主将=撮影・西川薫

3月18日、センバツ甲子園開幕

  第96回 選抜高校野球大会が3月18日に阪神甲子園球場で開幕する。北海道から昨秋の全道王者・北海と21世紀枠で別海が初出場する。北海は1963年大会で北海道勢最高成績の準優勝を収めるなど、道勢最多14度目の出場を誇る。歴代OBから甲子園開業100周年の節目に出場する後輩たちへのエールを紹介する。

初戦(2回戦)で西条農業に4-0快勝

 第1回は1988年第60回記念大会に主将として出場した堀松克之さん(53)。春夏通算54度の歴史の中で、唯一前年の秋季全道大会準優勝からセンバツ切符を手にし、初戦(2回戦)の西条農業戦(広島)を4-0で快勝し春25年ぶりの校歌を甲子園に響かせた。「僕は春に甲子園出たんで、春に見に行きたい気持ちがあるんですよね。ちょっと寂しいですけどね、夏へのステップみたいに言われちゃうと。でも、甲子園に立てることがどれだけ人生において大きな影響を及ぼすか、この年になって分かるというか。ぜひ観戦にいきたい」と、開幕を心待ちにする。

編入生のため1年間の公式戦出場停止

 北海では、転校生の自らを受け入れてくれた同期の存在に支えられた。留萌中卒業後、一度は埼玉・秀明へ進学。1年夏の埼玉県大会で「6番三塁」で4強入りした。しかし寮生活になじめず退学。進学前から「本州でやりたいのが1番だったけど、その夢がかなわないんであれば北海高校と決めていた」。1年秋、地元の大先輩でヤクルト元監督の若松勉さん(78)の出身校に編入。日本高校野球連盟の規定で公式戦1年間の出場停止。それでも2年秋の新チーム始動時に、当時の大西昌美監督(67)から主将に指名された。

『堀松を全道大会に連れて行こう』が合い言葉

 「秋の大会が終わるまでは自分自身のことだけで精いっぱい。周りをまとめるより、自分が一生懸命プレーしてみんなに認めてもらうしかない状況だった。秋も地区大会はベンチに入れなかった。みんな、本当にいいやつばかりだったんで『堀松を全道大会に連れて行こう』みたいなノリで」。全道大会で2度目の高校野球デビューを果たすと、決勝の函館有斗戦では2本の三塁打など4安打2打点の活躍も5-8で敗れ準優勝に終わった。

「(甲子園は)期待を持つな、諦めろと言われていた」

 当初は諦めムードだった。「大西先生からは変な期待を持つな、諦めろと最初から言われていた。とにかく夏を目指しなさいって言われてたんで、正直選ばれた時は本当びっくりでした。大西先生は『負けて甲子園に出るっていうのは初めてだった』って、絶対に勝ちたい、1回戦勝たなきゃいけないと指導されてたみたいですし、私もそのつもりでした」。チームにスイッチを入れ直し、甲子園へ向けてまとめ上げた。

甲子園の感想は「正直覚えてない、あっという間」

 西条農業戦には「1番三塁」で先発出場。1安打1盗塁を決めるも「正直覚えてないというか、あっという間すぎて。もう西中(紀和)の一人舞台でした」と、被安打4で完封したエース右腕に感謝した。3回戦の宇都宮学園(栃木)戦では二回に4番・山田和弘遊撃手(3年)の一発で1点を先制。しかし、後にプロに進む高嶋徹や真中満ら強力打線の反撃を受け六回に一挙6失点し逆転負けを喫した。「勘違いかもしれないけど全然勝てると思っていました。埼玉でやっていたんで、そんなに北関東のチームに対して違和感なかった。その辺、考えが甘かったのかな」と振り返る。

平川現監督はアルプススタンド応援部隊

 当時、平川敦監督(52)は2年の控え投手。ベンチ入りは出来ず、アルプススタンドの応援部隊だった。「真面目で優秀で穏やか。好きな後輩ですよね。選抜から帰ってきてから一気に成長した。いまでは監督としてよくここまでっていうか、やっぱりすごいね」と、母校の後輩指揮官に目を細める。

甲子園「令和初勝利」をただの通過点にしてと期待

 西条農業戦の1勝は、春夏通じて昭和最後の甲子園の白星となった。2011年大会の平成初勝利を挟み、今大会で北海が初戦突破を果たせば、令和初勝利となる。「僕にとってはあそこがゴールだったんですよ。だから今の子たちに伝えられることがあるとすれば、そこはゴールじゃないっていうことを強く伝えたい」。甲子園1勝もただの通過点にして、トーナメントを勝ち上がることを期待している。

 

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