冬季スポーツ
2023/03/18 20:00

【スキージャンプ】雪印メグミルクの栃本&原田侑が引退

引退会見で花束をもらった雪印メグミルクの栃本(右)と原田侑(撮影・西川薫)

■伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ(18日、札幌・大倉山ジャンプ競技場)

2度の世界選手権団体メダリスト・栃本 4度の膝の手術乗り越えた原田侑

 雪印メグミルクスキー部で2度の世界選手権団体銅メダルを獲得した栃本翔平(33)と、合計4度、膝の手術を乗り越えた〝不屈の男〟原田侑武(32)が今季限りで現役を引退する。18日に行われた国内最終戦で〝ラストフライト〟に臨み、栃本は17位、原田侑は9位に終わった。試合は竹花大松(21、土屋ホーム)が社会人初優勝を決めた。

栃本「子供の頃から憧れだった雪印メグミルクスキー部で現役生活を終えて本当に幸せ」

 思い出の詰まった地元・大倉山で現役最後の試合を終えた。栃本は「常にスキージャンプという軸がありました。子供の頃から憧れだった雪印メグミルクスキー部で競技ができて、雪印のメグミルクで現役生活を終えることができて本当に幸せです。長い間、応援していただき、本当にありがとうございました」と感謝の言葉を口にした。原田侑は「10年間、雪印メグミルクスキー部で才能溢れる先輩、後輩たちと一緒に切磋琢磨し、最高の環境で競技をさせてくれた会社には、感謝しかありません」。最後は仲間から胴上げされ、共に24年間の競技生活に別れを告げた。

07年の世界選手権札幌大会出場時「周りの先輩を見て、漠然だった目標が明確な目標に」

 栃本は若くから世界で活躍した。北海道尚志高1年(現・北海道科学大高)の2006年札幌W杯でデビュー。最も思い出に残っている試合には07年の世界選手権札幌大会を挙げた。「右も左も分からない時に、先輩方に支えられて、取らせてもらったメダル。その時に、自分もこうなりたいなとか、周りの先輩を見て、漠然だった目標が明確な目標に変わったのを今でも覚えています」。その翌年、次世代を担う若手のホープとして鳴り物入りで雪印入りした。

 目指していたのは五輪金メダルではなく、W杯総合優勝。試合直前に行われた引退会見では、「その目標を達成することはできませんでした。今後一緒にやってきた方たちと同じスタートラインに立てなくなるっていうのが、気持ちの部分ではすごい寂しい」と、現在の素直な思いを明かした。

右膝前十字靱帯断裂を乗り越えた原田侑「またみんなと一緒に戦いたい一心で頑張った」

 原田侑は晩年にケガに泣かされた。20年のHBC杯。着地で右膝前十字靱帯を断裂。3度の手術の末に、23年に復活。「最初はケガする前の足に戻りたいという一心でリハビリしてました。でも、過去の足にこだわり続けてる自分が、少し嫌いになりました。いろんな方に助けていただいて、この方々に恩返しするためにも、前を向いていかなければと、ケガした足と向き合い、またみんなと一緒に戦いたいという一心で頑張ってきました」と、今年1月のW杯札幌大会では4年ぶりの出場にこぎ着けた。

19年には宮様国際競技会ラージヒルで優勝 「一つの目標が達成できた」

 一番の思い出は19年の宮様国際競技会ラージヒルの優勝。「大倉山で140メートルを2本揃えて、300点超えの試合をしたいっていうのが一つの目標であったので、それが達成できた」と、今も胸に残っている。

岡部監督「現役で一緒に戦ってきた仲間。寂しい気持ちがある」

 チーム関係者も2人の引退を惜しんだ。岡部孝信監督(52)は、2人が入社した時のチームメート。「現役で一緒に戦ってきた仲間。特に栃本選手は、世界選手権に一緒に参加してメダルを獲ったこともあります。正直、ちょっと寂しい気持ちがあります。原田選手も大学を卒業して入ってきて、私がコーチに就任してからは、一緒に欠点を少しずつ無くしていこうと。本人もすごく一生懸命取り組んで、本当に遠くに飛べるジャンパーになった。これからスキーでは一緒に活動できなくなりますけども、2人とも今後の人生で今までの経験を生かしながら、社会人生活に生かして大いに活躍してもらいたい」と惜別の言葉を並べた。

引退後はそれぞれの道へ

 引退後の2人はそれぞれの道を歩む。栃本は3月末で退社。「ジャンプ界に関わっていきたいとは考えています。まだ詳細というのが、今ここでは発表することはちょっと難しいので、個人のSNSや何らかの形で、皆さんに発信していけたら」と模索中だ。

 原田侑は社業に専念する。「営業マンとして、頑張っていきます。仕事のことは右も左も分からない状態なので、まずは社業を早く覚えて、心に余裕ができたらジャンプ台に遊びに行きたい」。ジャンプを通じて培ってきた経験を生かし、次のステージでも花を開かせていく。

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