冬季スポーツ
2022/03/06 13:45

堀川 五輪メダル獲りへ再出発

地元・大樹町で行われた五輪報告会で決意表明した堀川(撮影・西川薫)

 北京五輪スピードスケート女子5000メートルに出場した堀川桃香(白樺高3年)が5日、地元の大樹町で行われた同町スポーツ賞の贈呈式に出席した。その中で行われた五輪報告会では、4年後のミラノ・コルティナダンペッツォ五輪でメダル獲得を誓った。内定していた実業団の日本電産サンキョーの廃部により、名門・富士急に進むことになった期待の新星が、しっかりと前を向いた。

地元・大樹町でスポーツ賞贈呈式

 名門・富士急に入社が決まった堀川が、元気にリスタートする。「これからは社会人として、一つ一つの行動をしっかりしたい。1500メートルを速くなって、パシュートに出て、メダルを獲れるように頑張りたい」と抱負を語った。

 まさに人生の岐路に立たされた一日だった。日本電産サンキョーの廃部を知ったのは、今月1日の卒業式から帰る車中。和田貴志監督(45)からの電話だった。ただ、五輪帰りの堀川は動じなかった。「くよくよしていても仕方がないので、次を考えよう」と、すぐに前を向いた。

 3年間指導した和田監督は翌2日の朝、「次を探さないといけない」と、さっそく昨夏にも交渉した富士急に掛け合った。経緯を知っていた同社は快諾し、同日午後には内定が決まったという。堀川は「早く決まってほっとした。監督が動いてくれて感謝しています」と胸をなで下ろした。

 オリンピアンといってもリンクを離れればまだあどけなさが残る18歳。高校生活を送りながら目指した五輪ロードは、極度の重圧との戦いだった。「辛くて、悔しくて、情けなくて、自分をコントロールすることができなくて、何度もスケートを辞めたいと思いました」と胸の内を明かした。

 やっとの思いでつかんだ五輪出場も、結果には満足していない。次の新たな目標がある。堀川は報告会の会場に集まった大勢の町民に約束した。「ここからが本当の五輪との戦い。辞めたくなることもあると思います。でも絶対に逃げ出しません。4年後、また同じ舞台で、違う景色を見られるように頑張ります」。大きな拍手に背中を押され、次世代のエース候補は再び大舞台を目指すスタートラインに立った。
(西川薫)

■堀川 桃香

(ほりかわ・ももか) 2003年7月10日、大樹町生まれ。4歳からスピードスケートを始め、大樹中2、3年時に全国中学大会女子3000メートルで連覇。白樺高では、1、2年時のインターハイで2年連続2冠を達成した。昨年末の北京五輪代表選考会女子5000メートルでは、7分10秒49のジュニア日本記録をマークした。164センチ。家族は両親と兄2人、姉、弟。

■北京五輪VTR

 スピードスケートの日本代表では最年少で出場。女子5000メートルで7分6秒92を記録して10位に入った。1周を33秒台に設定してスタート。2周目に32秒7で11位通過すると、3周目から9周目までは33秒台をキープ。それまではここから一気にラップを落としていたが、終盤に粘りを発揮。昨年12月の五輪選考会で自らマークした7分10秒49のジュニア日本記録を3秒以上縮める自己ベストで初陣の舞台を終えた。

富士急行スケート部

 1968年創部。かつては92年アルベールビル五輪女子1500メートル銅メダルの橋本聖子(57、駒大苫小牧高出)や、98年長野五輪500メートル銅の岡崎朋美(50、釧星園高出)らが在籍。2014年ソチ五輪では、長島彩花(旧姓・菊池、34)が団体パシュートで同社初の金を獲得。北京五輪で堀川と同じ5000メートルに出場し、8位に入った押切美沙紀(29、駒大苫小牧高出)がいる。

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