福田俊が8カ月ぶり実戦復帰 原因不明の激痛に悩まされ「もう野球はできないと思った」
実戦復帰した福田=撮影・近藤裕介
■イースタン・リーグ9回戦 DeNA3-6日本ハム(6月27日、鎌ケ谷スタジアム)
チームメートからの「おかえり!」の声に背中を押され、思いっきり左腕を振った。原因不明の神経痛で離脱していた日本ハムの福田俊投手(28)が、昨年10月のフェニックスリーグ以来、約8カ月ぶりに実戦復帰。2安打を許しながらも1回を無失点に抑えて勝利投手となり「(復帰まで)長かったです。長い、長い。投げられたことに感謝です」と、野球ができる喜びをかみしめた。
五回を無失点に抑えて勝利投手
五回に2番手で登板し、「探って探って」投げた初球は外角高めへ抜けた。いきなり連打を浴び、無死一、二塁とされたが、その後は空振り三振、投ゴロ併殺に斬ってピンチをしのいだ。「とりあえず(ストライク)ゾーン勝負で、ある程度打たれてもフォアボールを出さなきゃいいかなと思っていたので、(そこは)クリアです。0で終われたのは良かったです」と安堵した。
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最速は137キロ。当然、まだ本調子には及ばないが「ここから上がってくるはずです。投げている感覚的に、上がってくるかなと。これから出力が出てくればいいと思っています」と復調への手応えもつかんだ。
国頭キャンプ中の2月下旬、背中に激痛が走り…
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突然の異変だった。今年2月下旬、沖縄・国頭でのキャンプ期間中、背中に激痛が走った。痛みは左肩、左肘へと広がり、投球どころか日常生活に支障が出るほどだった。「最初、寝られなかったですよ。マジで、もう野球はできないと思いました。これはマジでしんどいって。寝られないのは、本当にしんどい。ひたすら耐えていました。体の右側を下にした横向きだけ、そこまで痛くなかったので、それで何とか寝ていました」。満足に眠れない日々は、約1カ月も続いた。
原因を特定できず病院巡りの日々
原因が特定できなかったことも、道産子左腕を悩ませた。病院を回り、「できる治療は全部やりました」とハリや電気などで回復を試みたが、「劇的に変化するものはあんまりなかったですね」と効果は薄かった。
「トミー・ジョンとかなら、ここ(が原因)って分かるじゃないですか。え、どこ?みたいな感じで。なっかなか治らなくて、いつまでこれなの?っていう気持ちが強かったです。まあ長いことかかって、(開幕から)4カ月たっちゃいました」

寝られるようになって「幸せでした」
今年で29歳になる道産子左腕。先が見えない状況に、「まあ、焦りはありましたよね」と認める。ただ、性格的に感情の起伏は少ないタイプ。「そんなに気持ち的に落ち込んだわけじゃないですよ。物事に対して、落ち込むことはそんなにないんです。何するにも痛かったので、どうしたら良くなるかを常に考えていた感じです。寝られるようになった時は幸せでした。あれは、噛みしめた方が良いです(笑)。人間の体の自然治癒力ってすごいなって思いました」と前向きに、一段一段、復帰への階段を上ってきた。
一進一退を繰り返す長いリハビリの末、ようやくたどりついた復帰戦。投げ終わってベンチに戻ると、同学年で仲が良い浅間らが笑顔で出迎えた。試合後には清水優に「スーパーピッチャー」と声をかけられ、今川からは「(福田の復帰に)涙が出そうでした。出そう止まりですけど」といじられていた。
仲間が温かく盛り上げてくれた〝開幕戦〟
「みんなが盛り上げてくれましたね。浅間大基は昼飯を食っているときに、ふざけて『きょうチケット完売やろ。(福田の)開幕戦、開幕戦』って言っていました。ブルペンのみんなも、頑張れっていう、試合前から〝よいしょモード〟がありました(笑)。みんな温かかったですね。ありがたいです。(登板中も)声はずっと聞こえていました。やっと、開幕したなと思いましたね。長かったです。やっと野球が始まりました」
2軍での復帰は当然、ゴールではない。「やっとスタートラインに立った。むしろ、ここからですね。今まではマイナスすぎたので、これまでよりこれからです」。苦難を乗り越えた男は、きっと強い。ここから状態を上げ、優勝を狙うチームの戦力になる。
