コンサドーレ
2025/06/18 12:00 NEW

【月刊コンサドーレ7月号】家泉怜依インタビュー「道なき道を歩いて」《赤黒の肖像》

文=斉藤宏則 写真=大橋泰之、江本秀幸

 

7月号の発売前に〝ちょい読み〟

 道新スポーツデジタルでは、毎月発行されている「月刊コンサドーレ」の記事の中から一部を抜粋し、発売に先がけて公開します。今回は6月25日に発売される7月号からDF家泉怜依選手(25)が特集されている「赤黒の肖像」を抜粋。インタビューの途中までとはなりますが、ご購入を検討する際のご参考となれば幸いです。


逆境の中で見つけた自分の価値

 J3から始まったプロキャリアは、J2、そしてJ1へ―。目覚ましいステップアップを遂げながらも、家泉怜依は「自分には何もできなかった」と悔しさをにじませる。それでも彼は、失敗から目を背けることなく、誠実に向き合い、もう一度J1の舞台を目指して歩み進めている。「最後まで絶対に諦めない」。そう繰り返す言葉の裏には、挫折と葛藤、そして支えてくれた仲間たちへの感謝が込められていた。家泉が語る、これまでとこれから。 

自信と葛藤の1年半 

―コンサドーレに加入してから約1年半が経ちました。ここまでの日々を、どのように振り返りますか
 昨季は自分にとって初めてのJ1の舞台で、チャレンジするという気持ちを持って、北海道へやって来ました。特にコンサドーレはJ1の中でも「魅せる」サッカーを志向していて、自分としても、そういうサッカーをしてみたいという思いもあり、移籍を決めました。一方で、ハイテンポかつテクニカルに攻めるコンサドーレのサッカーを自分がどれだけやれるのか? という不安があり、「自分には、なかなか難しいだろうな」と内心思っていました。それは現実となり、自分が思った以上にまったく何もできませんでした。正直、十分ではないものの、自分の長所を生かせば少しはチームの役に立てると思っていたのですが、全然でしたね…。

 総合的に見て、加入初年度だった昨年はハイレベルな戦いの中で、多少は技術的に成長し経験を積むことはできましたが、チームにプラスをもたらすことができなかったと自覚しています。そして、実際にチームはJ2に降格したわけですし。 

 でも今年に関しては、昨年よりも長所を生かせるようになってきたと感じています。チームとしての成績はまだまだ物足りないので、さらなる努力が必要ですが、ここから必ず巻き返します。昨季の悔しさを力に変えながら全力を尽くし、チームのJ1復帰に貢献したいと強く心に決めています。

―今年でプロ4年目を迎えます。自身がかつて描いていたプロ選手としてのキャリア像とは、どのくらい重なっていますか
 2022年にJ3からプロのキャリアが始まり、翌年はJ2でプレー。そして、プロ3年目となった昨年はJ1。まさか1年ごとにディビジョンアップができる選手になるとは、ルーキー時にはまったく考えてなかったので、その部分だけを見ると順調にキャリアを重ねていると言えますよね。ただし、プロサッカー選手というのは応援してくれている方々に喜んでもらってナンボの職業ですから、自分のキャリアと成績を切り離して考えることはできないと思っています。昨季はチームをJ2に降格させてしまいましたから、そこについてはしっかり反省し、応援してくれている方々とより多くの喜びを分かち合いながら上を目指していけるように、ここからしっかりと歩んでいきたいです。そのためにもまずは今季、コンサドーレをJ1に戻すことが現在の自分の最大目標です。 

半分諦めた夢、それでも続けた理由 

―プロ入りまでを振り返ると、故郷の藤井学園寒川高から流通経済大(流経大)と経て、当時J3のいわきFCでプロデビューを果たすことになるわけですが、そこまでのプロセスはどう振り返りますか
 中学生くらいから心の奥底で、「将来はプロサッカー選手になってみたいな…」と思いながら過ごしていましたが、実際に自分にそれだけの実力があるとは思ったことはありませんでした。高校卒業時になんとかセレクションに合格して、多くのJリーガーを輩出している流経大でサッカーができることになりました。でも、実際に大学でのサッカー生活が始まってみると周りはメチャクチャうまい選手ばかりで、「プロになりたい」なんて安易に口に出せる状況ではありませんでした。その時はもう心の中で半分というか、プロになることはほとんど諦めていました。 

 でも、せっかく四国から関東まで出てきた。そして、チームメートがハイレベルということは、もちろんついていくのも大変ですけど、成長するには間違いなく良い環境です。なので、やれるところまでやってみよう、と。両親にも「自分のサッカーは大学で終わりかもしれないけれど、悔いのないようにやりきるから」と伝え、サッカーに全力を注ぎました。

―もし、本当に大学で終わっていたならば、その後はどうなっていたのでしょうか
 いやあ…、どうしてたんですかね(笑)。恥ずかしながら勉強の成績は良かったわけでもありませんでしたから、企業に就職しようと思っても内定をもらうのは困難だったでしょうね。万が一、どこかに就職できたとしても、僕なんかが務まる仕事って何があったのか。サッカーをずっとやっていたから、体を使う仕事ならば…とも安易に言えないですよね。働いてお金をもらうというのは、本当に大変なことですから。 

 そうやって思い返していくと、なんとかこうしてプロサッカー選手になることができて良かったと改めて痛感しますね。もちろん、プロサッカーの世界も競争が激しいので大変ではありますが、好きなサッカーをして生活ができていることは本当に幸せだと再確認しています。

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■プロフィール 家泉 怜依(いえいずみ・れい) 2000年1月20日生まれ、香川県出身。身長185センチ、体重85キロ。幼少期から地元のクラブでサッカーの基礎を磨き、藤井学園寒川高校から流通経済大学へ進学する。大学卒業後の22年に、いわきFCへ加入。プロ1年目から33試合に出場し、J3ベストイレブンに選出されるなど圧倒的な存在感を放ちJ2昇格に貢献した。翌23年は39試合に出場し、2得点を記録。24年、札幌へ完全移籍。高さと対人守備が強みで、攻撃面でもロングフィードやサイドチェンジでチャンスを演出するなど攻守の要として躍動。サポーターからは「家様」と呼ばれ親しまれている。

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