元日本ハム・斎藤佑樹さんの「はらっぱスタジアム」オープンで思いを共有していく仲間の輪
バット作りに挑戦した斎藤佑樹さん(前列中央)と日本野球の杜関係者ら=撮影・西川薫
「100年先の日本野球のために」
今年3月に設立された北広島市の一般社団法人「日本野球の杜」が掲げる「100年先の日本野球のために」という取り組みに賛同の輪が広がっている。元日本ハムの斎藤佑樹さん(36)もその一人だ。今月5日に自身が手掛けた長沼町の少年野球専用球場「はらっぱスタジアム」がプレオープンし、「日本野球の杜」は来場した子供たちに折れたバットから作成したキーホルダーをプレゼントした。かかった費用は、コンサート・イベントの企画制作・運営・販売を行うキョードー札幌がサポート。斎藤さんの思いに賛同した同社が支援を申し出て、一つの形となった。
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5日のプレオープンで、特別ゲストの日本ハム・栗山CBOと記念撮影をする斎藤佑樹さん(右)
5月5日のこどもの日にプレオープンを迎えた「はらっぱスタジアム」。斎藤さんは「野球場をつくっていくことは夢でもありましたし、これで完成ではないけど、ここからが子供たちの野球できる環境がスタートする第一歩。これから長いストーリーをつくりながら、北海道の子供たちだけでなく、日本全国の子供たち、世界の子供たちに足を運んでもらえる野球場にしていくために、これから仲間と一緒に頑張っていこうと思っています」。頭の中には、すでにたくさんの夢プランが詰まっている。
折れたバットを輪切りにして磨き、白く塗装
今回、子供たちにプレゼントされたキーホルダーは、社会福祉法人「北ひろしま福祉会」の施設で、バット生産拠点の多機能型事業所「北広島セルプ」の利用者が作成に携わった。折れたバットを輪切りにして磨き、白く塗装してラベルを貼ったもの。名称は「Bat de Goods」と名付けられている。
全ては日本ハムが結んだ縁だ。キョードー札幌の武田千恵子代表取締役と、娘の武田千鶴統括部長は15年来のファイターズファン。札幌ドーム時代からシーズンシートの購入を続けており、昨年末にエスコンで行われた「みんなのXmas音楽祭」もスポンサードしてきた。
(左)回収された折れた木製バット(右)作成されたキーホルダー
斎藤さんの活動をテレビで見て「感動」
武田代表は今年2月に「日本野球の杜」の柴垣資治代表理事と知り合い、さらに斎藤さんが少年野球場をつくる特集をテレビで見て「感動というか、感銘を受けた」。そこで感じたのは「柴垣さんも、斎藤佑樹さんも北海道出身じゃない方がここまで子供たちのために、北海道のために尽くしていただいてることに、前社長の頃から北海道の札幌で根付いて寄与させていただいた中で、何かできないか」という思い。以前から懇意にしていた球団関係者を通じて支援を申し出た。
3月に招待され外野フェンス作成に参加
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3月には斎藤さんの招待で、建設中の外野フェンス作成にも参加させてもらった。今後についても「素晴らしいことだと思うので、少しでも協力していきたい。継続できれば。野球少年がいつでも野球をできるようになれば。やりたくてもできない現状は寂しい。今、北海道出身のプロ野球選手がいろんなチームにいて、それも小さい時に野球ができる環境にあったから」と、これからも多岐に渡る面をサポートしていくつもりだ。
斎藤さんも「キョードー札幌さんに共感いただいたことを、すごく嬉しく思いますし、野球のことをこんな風に思ってくれる仲間が増えていくのは、野球界にとってすごく嬉しいこと。これからも、もっと僕たちが先頭を走って頑張れるようにします」と意気込んでいる。
実際にバット作り体験も
また、協力してもらった「北広島セルプ」には今月2日に訪れ、そこで生産されているバット作りにも初めて挑戦した。この道22年のバット作り職人・金野健司さん(49)の手ほどきを受け、角材から削り出し、研磨、塗装まで自ら行った。「こんな経験をさせていただいて本当にありがたいです。自分がピッチャーだったから、あまりバットを作る機会がなかった。こうやってバットを一から作る経験をしたことで、バットへの愛情がより強まりますし、もう選手は引退しましたけど、より道具を大事にしたいと思いました」。完成後は、工場の外に設置してある専用練習場で早速試し打ちを行い、世界に1本だけのオリジナルバットに満足げだった。
バット職人の金野さん(左)の手ほどきを受けながら、オリジナルのバット作りに挑戦した斎藤佑樹さん(右)
長沼町で、北広島市で、同じ野球の未来を描いていきたい
「日本野球の杜」の道産バットには、斎藤さんの生まれ年である「88」が刻印されている。「株式会社斎藤佑樹としても、『野球未来づくり』というコンセプト、ビジョンを掲げてやっていますし、その中でこれからの日本の野球がどう発展していくのか、今生きている我々が頑張らないと100年先の野球はどうなるか分からない。日本野球の杜さんの活動は、本当に深く感銘を受けましたし、これから一緒になって、僕らは長沼町で、隣町の北広島市で、同じ野球の未来を描いていけたら」。将来を担う可能性無限大の子供たちのために、これからも活動の輪を広げていく。
自らが一から削り出し作成した木製バットを試し打ちする斎藤佑樹さん