アマスポーツ
2024/04/10 12:00

プリンスリーグ北海道に北照高が初参戦 改革を進めた理論派監督の苦悩と理想像とは

東京学芸大の大学院で戦術や指導について学び、岡山・作陽学園高など名門校での指導歴がある北照高の武藤監督=撮影・西川薫

創部55年目 参入戦から初昇格

 初陣軍団が旋風を起こす。4月13日に開幕する高円宮杯U-18サッカープリンスリーグ北海道に創部55年目の北照高が初参戦する。昨年、道央ブロックリーグを2季連続で制すると、参入戦では初戦で北海高セカンドを1-0で破り、次々と接戦を勝ちきった。

日本高校選抜やJ2岡山でも指導

 就任8年目の武藤崇志監督(39)は日本高校選抜やJ2ファジアーノ岡山でアシスタントコーチを歴任した理論派。リーグ開幕戦の相手はプレアミアリーグから降格したばかりの強豪・旭川実業高だ。格上相手に堂々とぶつかり、インターハイや選手権といった夏以降の戦いにもつなげる構えだ。

開幕戦は古巣・旭川実業高が相手

 3月に行った毎年恒例の宮崎合宿に加え、4月2日から6日までは初の東北遠征を敢行。道内高校三冠の一つとなるプリンスリーグ〝春の陣〟へ、着々と準備を整えている。

 初戦は強豪・旭川実業高が相手。武藤監督は2013年から2年間、コーチを務めた経験もある古巣へ、「もちろん全国を目指してやっていますけど、今、彼らに言っているのは、インターハイ、選手権(ともに道内)ベスト4を狙っていこうと。去年の3年生が中心となって(プリンスの出場権を)勝ち取ってくれたので、チームとして成長していく1年にしたい。その上でプリンス残留や、カップ戦でも上を狙っていけるようなチャレンジをしたい」。初戦でのジャイアントキリングから〝春の嵐〟を巻き起こすつもりだ。

守備のキーマンはDF山﨑主将

 昨年のプリンス昇格に貢献した選手は現チームに5人いる。守備のキーマンは1年時から公式戦に出場し、4バックの右CBを務めているDF山﨑亘陽主将(3年)だ。170センチ、60キロとフィジカル的に突出しているわけではないが、1対1の強さが武器。山﨑主将は「相手を見極めて、後出しの守備。粘り強く守備からリズムをつくる。インターハイ、選手権で全国へ行きたい。プリンスも残留を狙っていく。(昨年の)3年生には、せっかく上げてくれたので結果で恩返しがしたい」と意気込んだ。

JFA元理事の瀧井教授に師事

 武藤監督は現役時代、岩見沢東高から青森・弘前大に進学し、卒業後は当時の関東大学リーグ1部だった東京学芸大の大学院に進んだ。日本サッカー協会(JFA)元理事の瀧井敏郎教授(70)に師事した。同氏は元日本代表のDF岩政大樹(42)やMF高橋秀人(36)を育てた指導者で、1995年には「ワールドサッカーの戦術」という解説本も出版している。

武藤監督が何度も読み返しているバイブル

 

困った時に立ち返るプレーの原則

 その本はJFA指導者ライセンス取得時の授業で一部引用されており、「プレーの原則があるんですけど、それを整理された方。攻守ともに第1から第4原則があって、どのスタイルの戦術をとっても、原則に行きつくようになってるんです。困った時に何を考えるか、うまくいかない時に何を考えるかというと、プレーの原則から外れていないかを見るんです。逆にそこを理解してしまえば、どういう戦い方をするかの色付けだけなんですよね」と、自身のバイブルとして今も時間があるときには読み返している。

 大学院では「サッカーの基本的な考え方をすごく学ばせていただきながら、理論だけじゃなくて、現場の実際の指導も任せていただいて、本当に力をつけさせていただきました」と感謝する。

選手が考える意図や判断を大事に

 基本的には「サッカーは相手の逆を取るスポーツ」だという。「ポゼッションして、ボールを保持するのがベースにあるけど、縦に長いサッカーがダメかっていうとそうではない。プレーに意図があり、ロングボールを蹴って、そこからもつないで点を取る。これもサッカーだから別にいいよね。でも、判断がない、ただ蹴るだけのプレーは絶対にダメ。なぜなら、それではサッカーがうまくならないから。自分の中では、プレーに意図があって選手の判断があれば、それが一番、選手が伸びるだろうし、サッカーがうまくなるだろうと思ってやっている。選手もその方が楽しいだろうと思う」と、強い信念の下にいかに選手を成長に導くかを念頭に置いている。

日本代表FW浅野を教えたことも

 大学院を修了した2010年春からは岡山・作陽学園高の野村雅之監督(57)の下で指導者生活をスタートさせた。翌年はJ2岡山で「普及や育成じゃなくて、トップチームで勉強させていただいた」とアシスタントコーチとなった。しかし、そのまた翌年、古巣の野村監督が日本高校選抜の監督に就任したため、再び呼び戻されて同代表のコーチを務め、デュッセルドルフ国際ユースサッカー大会では日本の初優勝にも貢献した。当時の同代表には、途中でけがをして最終的に帯同はしなかったが、四日市中央工高の3年生だったFW浅野拓磨(29、ボーフム)も名を連ね、今も現役で活躍するプロの卵たちが多くいた。

監督就任時に感じた大きな温度差

 北照高には16年10月に赴任。同年の全国高校選手権北海道大会が終わった後にサッカー部の監督として就任した。その年の夏にはインターハイにも出場し、勢いがあった時期ではあったが、「部としては正直、だらしないというか…。全国には行ったけど、僕が作陽とかで見てきた頑張っているチームとは、全くかけ離れていて、これは大変だな」と思ったという。

選手が予想以上に反発し四苦八苦

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