特集
2021/11/15 11:04

【アーカイブ・2020年連載企画】逆境を乗り越えよう⑯  東京五輪聖火ランナー松浦秀則 先天的障害も「僕の最高の個性」

 東京五輪の聖火ランナーでもある松浦秀則、26歳。母親の胎内にいるときに脊髄髄膜瘤および水頭症(二分脊椎症)と診断され、誕生からずっと2本の足は動かない。しかし、没頭した車いすソフトボールでは4年連続米国遠征に出向くなど活躍。北翔大、同大学院では障害者や高齢者の生活環境向上を目指して研究を進め、卒業後の今年5月にはユニバーサルデザインアドバイザーとして会社を立ち上げた。先天的な障害を「自分の個性」と言い切る松浦には、誰にも負けない推進力があった。(敬称略)
(本連載企画は2020年9月に掲載されたものです)

自らの会社を立ち上げた

 真新しいオフィスに松浦がいた。「すべてこれからです」。全世界がコロナ禍に脅かされていた5月6日、自らの会社を立ち上げた。大学院までの研究を生かし、障害者、高齢者が住みやすい環境づくりのアドバイス、さらに経験を元にした講演活動をしていくためだ。

小学校は普通学級へ

 下肢は生まれつき、動かない。物心ついた時から生活は常に車椅子だった。だが、両親は普通に育てたいという強い希望を持ち、何度も何度も余市町と話し合い、検討を重ね、晴れて小学校の普通学級への入学が決まった。

 学校内には昇降機が導入され、当初は違和感を感じていた周囲も、時間という潤滑油によって理解は広まった。「小学校に上がってからも『ん? 他の人と違うのか?』と悩んだり、時には(昇降機の操作を忘れて)階段上に取り残されたりもしましたけど(笑)。ある日、友だちが『車椅子だったことを忘れていた』って言ってくれて、それがうれしかった」と振り返った。

ユニバーサルデザインの道へ

 中学、高校と野球部のマネジャー。球場は全てが障害物の固まりだ。仲間が車椅子のまま、松浦を持ち上げての移動は自然の行動となっていった。仲間から直接伝わる思いとぬくもりを受け、松浦は指針を定め、バリアフリー研究などが可能な北翔大への進学を決めた。

 大学では車椅子ソフトボールに没頭。特に大リーグ傘下のチームがあるなど、競技が盛んで、さらにユニバーサルデザイン先進国である米国には、大学4年間毎年、日本代表として遠征。大会の迫力を感じながら、時間が許せば、将来を見据えた研修に取り組み、最高の経験を重ねた。

 障害者用トイレはどこにでもあり、舗道一つを取っても段差が少なく、波も打っていない。日常生活を健常者と区別なく、共存できる環境が”本場”には大きく広がっていた。「卒論でも比較データを載せ、問題の提起をしました。こだわることが、車椅子ユーザーでもある自分の役割だし、重要だと思ったんです」

「北海道の地をもっと暮らしやすくしたい」

大学時代のある吹雪の日。最寄りの駅から自宅に向かう途中で車椅子の車輪が雪の溝にはまった。風雪が強くなる中、もがくこともできず、積雪はみるみる上昇。「正直、このままダメかも」と死も覚悟した。限界寸前に幼なじみがたまたま通りかかり、雪像のような松浦を救出してくれた。

 健常者が「そんなこと」と一笑に付す出来事が生死に直面するのが障害者であり、車椅子生活者なのだ。松浦は強く誓った。「北海道という地をもっと暮らしやすい場所にしたい」。だからこそ、国内外で学んだ聖火を発揮するため、逆境の中で起業に踏み切った。

「生まれてここまで一人では何もできなかった」

 開催が延期された東京五輪。松浦は6月15日にむかわ町で予定されていた聖火リレーに参加するはずだった。1年後に延期されたが、聖火が世界の祭典を彩る。「僕が生まれてからここまで、1人では何もできなかった。でも推薦され、選んでいただいたことは誇れることだし、自分なりの恩返しだと思います」

 聖火を手に200メートルを進む。家族に支えられ、仲間の声に勇気をもらった26年間。目の前に道があるなら、精一杯に前に進むだけ。松浦が「僕の最高の個性」だという障害を神様は与えた。ならば、個性を前面に押し出して、よりよい環境をつくり出す一端を担おう。2020年、松浦が”自分の足”で歩き出した。(平澤芳明)

■漫画「義男の空」のモデルに 小児脳神経外科の高橋義男医師と関わった人々を実話に基づき描かれたドキュメンタリー漫画「義男の空」(エアーダイブ)。同医師は松浦の主治医であり、運命を共に過ごしてきた同志。松浦が色紙に書いた「みんな同じ人間だべや」は高橋医師の言葉であり、松浦自身が生きていくための支えになっているメッセージでもある。一家がモデルとして描かれている10、11巻は出生にまつわる葛藤はもちろん、命の尊さや豊かさが表現されている。

■松浦 秀典(まつうら・ひでのり) 1994年4月8日、余市町生まれ。余市東中から余市紅志高まで野球部マネジャーを務め、高3の夏、小樽支部予選で始球式を行った。卒業後は北翔大に進学し、ユニバーサルデザインやバリアフリーを学ぶ。同大大学院に進み、より研究を推し進め、生涯学習学専攻修士課程修了。卒業論文は自ら車椅子ユーザーとしての視点から生活環境を考えた「積雪寒冷地域における福祉環境整備の研究」。家族は両親と兄。札幌市在住。

(2020年9月26日掲載)
 

あわせて読みたい