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2021/11/05 10:09

【アーカイブ・2020年連載企画】逆境を乗り越えよう⑪ 池田剛基 いざというときに備え、最善の準備を

 特別企画「逆境を乗り越えよう」の10回目は今春、足寄高野球部監督に就任した池田剛基氏(35)。道内でも無名の存在だった鵡川高でセンバツ甲子園に出場し、卒業後は日本ハムに入団。本拠地移転決定後第1号の道産子選手だったが、わずか3年で現役を引退した。今夏の甲子園も中止となり、逆境の中できょう1日から練習再開する。ハンディを乗り越えた高校時代の経験、プロでの悔しさを胸に監督として来たるべき甲子園を目指す。
(本連載企画は2020年6月に掲載されたものです)

札幌から当時無名の鵡川高へ進学

 池田監督が札幌栄南中3年時、進学先に選んだのは、全道大会に一度も出場したことがなかった鵡川高だった。2000年に入学した当初は室内練習場もなく、グラウンドを囲うネットも十分に設置されていない環境。決して恵まれてはいなかった。それでも昨年8月に亡くなった佐藤茂富監督(享年79歳)の下、めきめきと力を付け、1年秋に全道初出場。翌秋の全道で8強に進出し、瞬く間に甲子園出場まで駆け上がった。池田監督は「佐藤先生から野球の技術よりも、日常生活の大切さを教わった。プロまで行けたのはそのおかげ」と全国区の選手に成長した高校時代を振り返った。

プロの世界へ飛び込むも3年間で引退

 卒業後、周囲の大きな期待を背負い、飛び込んだプロ野球の世界。レベルの違いを痛感しながらも、1軍の大舞台を目指して必死にバットを振り続けた。しかし、若者を待ち受けていたのは厳しい現実だった。左肘の故障もあり、05年のシーズンオフに戦力外通告を受け、わずか3年で現役生活に幕を閉じた。
 現役への未練、満足にプレーができなかった悔しさを感じながらも、次に選んだのは指導者の道。球団アカデミーで子供たちを指導してきたのに続き、今春から高校野球の監督として、新たな野球人生をスタートさせた。

日常生活の大切さを説いた恩師の教えを胸に

 新型コロナウイルスの影響で、大会や練習ができなくなる想定外の船出ではあったが、「こういう時こそ、日常生活を見直し、今できることをする。いざという時に動けるように、最善の準備をしていく」と、恩師の教えを胸にこの逆境を耐えた。
 きょう1日に再び野球のある日常が戻ってくる。高校、プロで学んだ経験を、次世代の野球界を担う子どもたちに伝えていく。(島山知房)

■池田 剛基(いけだ・ごうき) 1984年(昭和59年)8月5日生まれ。札幌市出身。鵡川高では2002年のセンバツ甲子園に21世紀枠で出場。1回戦の三木(兵庫)戦では「4番・一塁」でスタメン出場し、2安打。甲子園初勝利に貢献した。同年秋のドラフト会議で7巡目指名を受け、日本ハムに入団。05年限りで引退後は、ファイターズアカデミーのコーチを務めた。18年に足寄町教育委員会の任期付き職員に着任し、足寄高の外部コーチを務めた。

(2020年6月1日掲載)
 

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