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2021/11/01 11:43

【アーカイブ・2020年連載企画】逆境を乗り越えよう⑨  大黒摩季㊤ 大好きだった音楽 いつしか憎しみの対象に

 特別企画「逆境を乗り越えよう」の第9回は、6年間の病気療養を経て復活を果たした不屈の道産子シンガー・ソングライター大黒摩季(50)。1992年にメジャーデビュー後、「ら・ら・ら」「あなただけ見つめてる」「熱くなれ」など大ヒットを連発した輝かしい光の陰には、壮絶な病魔との闘いがあった。一度は歌を奪われ、どん底まで落ちたボーカリストは、どのようにはい上がったのか-。2回に分けてお届けする。(聞き手・近藤裕介)
(本連載企画は2020年に掲載されたものです)

翌年の4万7000人ライブを控え、病を知った

 初めて病に冒されたのを知ったのは1996年末。4万7000人動員の初ライブが翌年8月に迫っていた。
 「重い子宮内膜症でした。薬はもう最後に強いのが一発しかない。それをやらないと、子宮と卵巣が圧迫されて、母親になるのも難しくなる。でもそれをやってしまうと、女性ホルモンを下げるので、キーも下がる。キーの下がった大黒摩季なんて誰も見たくない。当時の私は4万7000人のファン、スタッフを入れて5万人近い人たちの期待を裏切って生きていけるほど、強くなかった」

治療せず、歌う道を選んだ27歳

 迫られた究極の二択。想像を超える重圧を抱えた当時27歳のシンガーは、歌う道を選ぶしかなかった。本格的な治療は後回し。痛み止めや漢方薬でその場をしのぎながら、初ライブ以降も精力的に活動を続けた。しかし、2010年、ついに限界が訪れる。
 「子宮腺筋症、子宮内膜症、卵巣のう腫が2種類。婦人病の”バリューセット”みたいな感じになっていました。疲労が重なったりしてどれかが炎症すると、骨盤の中のあらゆる臓器も炎症してストライキを起こす。痛み止めも効かなくなって、最後は立っていられない状態。これが続くと臓器がダメになっていく。気持ちとかの問題ではなく、オペをしないと死の危険もはらんでいるということでした」

歌を奪われた6年間

 無期限のアーティスト活動休止。人生最大の逆境だった。
 「結局丸6年間、大黒摩季を離れました。ポジティブな気持ちではなく、完全に歌を奪われたという気持ち。それまではいかなる挫折も挫折だと思わずに、ポジティブに転換して生きてこられたんですけど、生まれて初めて自分が頑張ってもどうにもならないことに出合いました」


音楽さえなければ-

 あのとき、治療せず歌を選んだから-。音楽さえなければ-。大好きだったものが、いつしか憎しむべき対象に変わってしまった。
 「休んで最初の2年くらいは音楽を生活から全部排除しました。悔しくて。私をこうしたのは音楽だって、逆恨みをして。聴かない、歌わない。テレビの音楽番組はすぐチャンネルを変えました」

そして歌に救われた

 大黒を救ったのは、それでも音楽だった。
 「本当に自暴自棄になって、ある夜、酔っ払ってベロベロになりながら、懐かしいCDを引っ張り出して。ボニー・レイットの『I can't make you love me』を聴いたらたまっていた涙が、滝のように流れて。かっこ悪いくらい。音楽はたかだか音を流しているだけなのに、心の掃除をしてくれるんだなって思った。そこから開き直れて、逆に聴き倒したり映像を見たりして、日々音楽に助けてもらうようになりました」(続く)

■大黒 摩季(おおぐろ・まき) 1969年(昭和44年)12月31日生まれ、札幌市出身。92年デビュー。「あなただけ見つめてる」「夏が来る」「ら・ら・ら」などのミリオンヒットを放つ。2010年に病気治療のため休業するも、16年8月、ライジングサン・ロックフェスティバルで故郷・北海道から活動を再開。昨年12月31日の誕生日に「50歳=50トライ」をスローガンに掲げ、現在は新型コロナの影響で延期となったライブの各開催日ごとに生配信を実施中。

(2020年5月18日掲載)
 

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