アマスポーツ
2022/12/06 20:00

【永関博紀の激レアチャレンジ・上】不屈の闘志でギネス最速記録更新! 自転車でアメリカ縦横断

米国大陸縦横断のギネス最速を記録した永関さん

7282キロを30日16時間25分で完走

 折れそうになった心を何度も奮い立たせた―。北海道・砂川市在住の永関博紀さん(32)が今年の9月から10月にかけて、自転車による米国縦横断に挑んだ。7282キロを30日16時間25分で完走し、最速記録としてギネス世界記録に認定された。イギリス人が打ち立てていた記録を約9日間縮めることに成功した。この快挙を含めた〝世界最速〟ライダーの生き様を2回に分けて紹介する。

 「世界を見に行きたい」。17年、平凡な日常を過ごしていた永関さんの湧き出た思いから物語は始まった。最初のチャレンジは翌18年7月の日本縦断。北海道から鹿児島までの約2650キロを7日19時間37分で走りきり、当時の最速記録を更新した。「アメリカに行きたくて、名刺代わりとなる実績を作るために、日本縦断をまずやった」

2度の挑戦失敗

 満を持して米国に乗り込んだが、2度の挑戦は挫折に終わった。同年9月の1回目は約2100キロ地点で転倒し断念。そして19年7月の2度目の挑戦では、恐怖心を植え付けられるアクシデントが発生した。後ろを走っていたサポートカーが追突事故に遭遇。奇跡的に協力者は無事だったが「この事故があったからもう怖くて公道を走るのが。今回はもうずっとこの怖さとの戦いで、トレーニングもあんまり公道を走ってない」と恐怖が脳裏に焼き付き、帰国後もトレーニングがままならなかった。

 その後コロナ禍にも見舞われたが、飽くなきチャレンジ精神で3度目のトライを決めた。困難はすぐに立ちふさがった。カナダ国境近くのワシントン州スーマスをスタートし、4日目のこと。雨が降りしきり、気温も8℃と悪環境の中、オレゴン州を進んでいた。視界も悪く、1メートル横を大型トラックが時速100キロほどで大きな水しぶきを上げながら走行。永関さんの頭の中では、3年前に大破した車がよぎった。「もう怖すぎて。スタッフにも『ちょっとリタイアしたい。怖すぎてマジで死ぬから』って言いました」と断念することも考えた。普段は1日250~60キロ走るところをこの日は80キロしか走れなかった。

キムタクから「こっちの世界面白いぞ」と夢の中で激励され奮起

 恐怖に打ちひしがれた夜、転機となる夢を見た。大ファンである俳優・木村拓哉が登場。著名人が多く参加する晩餐会のようなものに自らも参加していたという。

 「超きらびやかな。僕もそこにいて。キムタク(木村拓哉の愛称)が『ヒロキ、こっちの世界面白いぞ。お前もエンターテイメントやるか』みたいな。(自分も)『行きたいっす』とか言って。もう気持ちのいい目覚めで。気持ち切り替えて『よし、やっぱりやるしかねえ』と走り始めた」

 その日は一気に290キロ走行。キムタクの〝エール〟は確実に力に変わった。

恐怖感との闘いに勝ちニューヨークへ

 その後は順調に走行。転倒を防ぐために、平均時速は約25キロに抑え、自動車からの追突を避けるためにも自転車後部のライトを6倍に増やした。カリフォルニア州のサンディエゴまでの縦断を果たすと、次は横断走路である同州のロサンゼルスを出発。そして、10月18日、最終地点のニューヨーク州のニューヨークにたどり着いた。

 ゴールした瞬間に様々な思いが去来し、涙が止まらなかった。「恐怖感があったから安堵の気持ちが先に来て、達成感が後から来た。サポートスタッフやスポンサーなど応援してくれた人への感謝の気持ちとか、いろんな気持ちが入り交じった」。時間にして30日16時間25分、11月16日にギネス最速記録と認定された。

テキサスで牛の集団の激臭に悶絶

 広大な大陸を走破したが、その中でも印象的な風景があった。テキサス州で、一面真っ黒な景色が目に飛び込んできた。「何かなと思ったら、飼育された牛(の集団)。もう激臭。それまでは広い牧草に放し飼いにされた、のどかなのを見てきたんですけど、もうやばかったですね、あれはちょっと衝撃」と振り返った。

 悲願を達成したが、永関さんは歩みを止めるつもりはない。来年は2月にニュージーランド、9月にヨーロッパの縦断を予定。生涯チャレンジャーとして、視線はすでに前を向いている。

《後編はこちら》


■プロフィール 永関 博紀(ながせき・ひろき) 1990年6月28日、砂川市生まれ。滝川高から小樽商科大に進学。卒業後は大手IT企業に就職し、インターネット番組製作に携わった。2年半で退職し、ロードバイクの挑戦を始める。2018年に日本縦断を達成し、今年悲願の米国縦横断を成し遂げた。18年に株式会社挑戦舎を起業し、代表取締役社長に就任。19年には砂川市市議会議員に当選。翌20年に歌志内市長選挙に出馬するも、敗れた。175センチ、68キロ。家族は両親、兄2人、姉、妹。